「アメ横」のアメの正体
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
上野に「アメ横」が誕生
年末までは、まだあと2ヶ月ほどありますが、東京で年の瀬に賑わう場所のひとつが「アメ横」です。「対面販売、交渉次第で更にお安く!!」がキャッチコピーだそうですが、活気ある店主との掛け合いは、見ているだけでも楽しいもの。
さて、そのアメ横。どのように発展していったのでしょう?
明治の時代まで、町人たちの長屋や民家が並ぶ住宅街だった台東区上野周辺。それが1945年3月の東京大空襲で、あたり一面焼け野原に。
1946年、戦後の混乱のなかで現在のJR山手線上野駅~御徒町駅間には、バラック店舗が立ち並び簡易マーケットの「闇市」が開かれたそうです。アメ横の原型はこうしてスタート。それがどうやら10月11日だったようです。
では、なぜ“アメ横”と呼ばれるようになったのか?
ミリタリー通に根強い人気の「中田商店」や「松崎商店」のように、アメ横にはミリタリーショップの名店が。戦後の闇市でアメリカ軍から流れてきた物資などが売られるようになり、「アメリカ横丁」からアメ横という説もあります。
が、どうやら本命はコチラのようで。
戦後すぐの食糧難のなか、配給制の砂糖はたいへん貴重な食材でした。そんな時代、砂糖の代用品として中国からの引揚者たちが持ち込んだ人工甘味料サッカリンを使った飴菓子を販売する店舗が登場。これが大ヒット。遠方から飴を求めて人が押し寄せ、飴菓子を扱う店が軒を連ねたことから「飴屋横丁」、からの「アメヤ横丁(アメ横)」。
意外とベタだったのね。