「SOS」がなんの略か知ったとき、アナタはきっとショックを受ける
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
世界統一の遭難信号
「SOS」が採択された日
救助や遭難、助けを求める際の合図といえば、ご存知「SOS」。
世界共通のモールス信号による遭難信号として採択されたのは、1906年ベルリンで開かれた第一回国際無線電信会議において。採決が実施されたのは会議最終日となった11月3日だそうです。
ところで、SOSとはなんの略?
これには諸説ありまして。「Save Our Ship(我らの船を救え!)」とか「Save Our Souls(我らを救え!)」の略だと考えられていたりもするんですが、じつのところ、どうやら「SOS」という文字列自体には、救難信号として以外の意味は特段ないんですって。マジスカ?
先述のモールス信号でSOSを表すとこうなります。
「・・・ーーー・・・」
(トトトツーツーツートトト)
字間を開けずに送信する符号。これがもっとも打電しやすく、かつ聞き取りやすい。というわけで、それを文字で表した「SOS」となった。
どう? 知ってなんとなくショックを受けたのは筆者だけでしょうか。
では、世界で初めて「SOS」を発信したのはいつだと思います?
一説によると、1909年8月11日、ニューヨークからジャクソンビルへと航行していた蒸気船アラパホ号から発信されたものだとか。プロペラシャフトに破損を負った同船からのSOSをノースカロライナ州ハッテラス岬の無線局が受信。救助へと向かったそうです。
ところが、当時、海洋公衆通信の商用化を専業とする「マルコーニ国際海洋通信会社」の通信局が主要国の岬などに設置されており、同社は独自の遭難信号「CQD」を活用していたそうで。
それもあって、アラパホ号は最初、CDQで打つべきか、SOSとするべきか、現場は混乱。結局のところ両方の遭難信号を打ったそうですよ。うーん、確かにこれは紛らわしい。
そして1912年、あのタイタニック号もまた、氷山に衝突したあとSOSを発信していました。
船上がパニックと化していたちょうどその頃、衝突現場からわずか16kmほどの距離を航行していたカリフォルニア号でしたが、未明に起きた事故のため、どうやら無線局の運用時間が終了していたらしくタイタニックからのSOSを受信できず、すぐさま救助へと向かうことが出来なかったといいます。
当時、海難事故として最大の死者数を出したタイタニック号の沈没。このことが教訓となり、以後の国際会議などで通信の環境整備が急速に進んでいったんだそうですよ。