アメリカ最大のミステリー「誰がポテトチップをつくったのか?」
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
ポテトチップスデー
(National Potato Chip Day)
アメリカの偉大な発明家といえば……サミュエル・F・B・モールス(電信)、ロバート・フルトン(蒸気船)、トーマス・アルバ・エジソン(蓄音機)、フレデリック・マッキンリー・ジョーンズ(冷蔵庫)など、枚挙にいとまがありません。
あらゆるモノの始まりには“生みの親”がいるわけですが、アメリカ生まれジャンクフードの代表「ポテトチップス」においては、いつ、だれが作ったのかが定かでないんだとか。
それでいいのか?アメリカ人よ。
毎年3月14日を「National Potato Chip Day(ポテトチップスデー)」としてお祝いし、いつも以上に消費が増えるというこの日、アメリカ最大のミステリー「誰がポテチを作ったか?」を話の種にきっと各家庭でポテトチップスを頬張っているんだと、勝手に想像します。
とまあ、そういうことにしてここでは通説として一般的に浸透しているポテチ誕生秘話をベースに、そのカウンターとなるストーリーも交えてご紹介。
もちろん、ポテチ片手にお付き合いください。
悪質クレーマーへの
対抗策から生まれた説
ポテトチップスの出自としてもっともよく耳にするのが、クレーマー客の対応中に偶然誕生したとする説。
ときは1853年8月24日、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスのレストラン「Moon’s Lake House」にひとりの客がやってきました。彼はサイドメニューのフライドポテトが「分厚すぎる」とシェフのジョージ・クラムに食ってかかります。
これを聞き受けたクラムはポテトを薄くスライスし提供しますが、それでも「厚い」とクレームが。何度作り直しても「厚い」「厚い」と文句をつけてくる。
さすがにクラムも嫌気がさし、フォークで刺せないほどポテトを極限まで薄くカットし油で揚げて提供したところ、意外にも客はこれを大変気に入り喜んで食べていった。そこからカリカリの極薄フライドポテト(すなわちポテトチップス)が誕生したとする説です。
じつは、クレームをつけたという客、アメリカの実業家で海運・鉄道王であったコーネリアス・ヴァンダービルトだったそうで、アメリカ先住民と黒人の血を引くクラムに対する嫌がらせで、その喧嘩をクラムも買ったことで偶然ポテトチップスが誕生したのではないか、という見方をする歴史家たちもいます。
ともあれ、これがポテチ誕生の経緯として1976年「American Heritage」誌に取り上げられ定着していったようです。
ところが、この説に異論を唱える人も少なくありません。
歴史家で伝記作家のT.J.スタイルズは、ピュリッツァー賞を受賞した『The First Tycoon: The Epic Life of Cornelius Vanderbilt』のなかで、この話には真実味がないと真っ向批判。クレームをつけた客もヴァンダービルトではなかったと強調しているのです。
たしかに、今日のポテトチップスの普及を考えればクラムの功績はもっと大きなものであるはず。けれど生前ほとんど認められていなかった。当時アメリカで五指に入る名料理人ではあったが、1914年、彼の死亡記事には「ポテトチップス」について全く触れられることもなかったんだとか。
では、いったい誰が?
ここで、もうひとり重要な人物の存在が。キャサリン・アドキンス・ウィックス。彼女の死亡記事のなかに「ポテトチップスの発明者」の一文が。
じつはこの女性、クラムの実の妹でクラムのそばで厨房に入り料理をつくっていた人物なんだとか。ある説によれば、ヴァンダービルトとされるクレーマー客が訪れた際、ポテトを薄切りにしたのはキャサリンで、ポテトの皮を剥くとき、あやまって薄く切ったポテトを油の中に落としてしまったのがはじまりだという説も。
とこのように、調べていくと「Potato Chips」はクラムやキャサリンよりも以前にも登場することもあるようですが、どうやら有力なのはこの兄妹によって最初にもたらされたとする見方のようでして。
もう、あとはどれだけ薄いかだったり、どれだけパリパリか、どれだけ味にバリエーションがあるか、みたいな話になってくるんじゃないかと。
ついでに申しますと、日本にポテトチップスが入ってきたのは戦後の1945年ごろらしく、今でも販売している「フラ印 ポテトチップス」がはじまりだそうですよ。