日本最古の地図は「伊能忠敬」によるものではなかった?
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
「地図の日/最初の一歩の日」
223年前(1800年)の4月19日、ほんの5年ほど前まで“造り酒屋”を生業にして名の立て、一念発起のもと天文学や測量を学んだ男性が、ある目的のために江戸を出発します。
男の名は、伊能忠敬。小学校の社会科の授業や教科書で耳目にした人も多いであろう、はじめて日本(列島の)地図を完成させたとされる人物です(※)。
15年以上にわたって日本の沿岸線を測量機器を携えて旅し、非常に高い精度の地図を残した彼の功績を讃えて、今日4月19日は「地図の日/最初の一歩の日」とされています。
が、日本の輪郭を描いた地図が通称“伊能図”の数百年前にはすでに存在していたのをご存じですか?
日本最古とされる日本地図は「行基(ぎょうき)図」と呼ばれ、出自の詳細は不明ながら、制作された時期は奈良時代とも14世紀の室町時代ともいわれる古い歴史をもつものです。
江戸時代に急速に発展した測量技術を駆使したものに比べれば、その完成度は決して高いものではありませんでしたが、実際に伊能図が完成する以前には官民問わず使用されていたのだとか。
測量に関する技術的な問題はもちろん、天下が統一されるはるか以前、国をまたいでの移動もままならなかったであろう時代に、精度の問題はさておき、日本列島のアウトラインを描くことがどれほど大変だったことかは想像に難くありません。
地図に限らず、現代の便利な暮らしは、そんな先人たちの奮励のうえに成り立っていることを、今日、再確認してみてはいかがでしょうか?
※実際に地図が完成したの伊能忠敬の死後、1821年。