「世界初の五つ子」が生まれがならに背負った「数奇な運命」
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
全員が幼児期を超えるまで成長した
「世界初の五つ子」が誕生した日
89年前(1934年)の今日、カナダはオンタリオ州カランダーで一卵性の姉妹が誕生しました。その姉妹の数、なんと5人。
そう、一卵性の五つ子の姉妹です。
イボンヌ、アネット、セシル、エミリー、マリーの姉妹は、予定日よりも2ヵ月ほど早く生まれたため体が非常に小さく、命があやぶまれるほどでしたが、医師や関係者らの必死の対応により、のちに「ディオンヌ家の五つ子」として世界中で話題となる、全員が幼児期を超えるまで成長した“奇跡の赤ちゃん”となりました。
そんな五つ子の人生は、その誕生の瞬間から波乱に満ちていました。
ディオンヌ家にはすでに複数の子どもがおり、さらに5人が増えることで生活が困窮することを不安に感じた父・オリバーは、当時開催中だった「シカゴ万国博覧会」に有償で5人の娘を“出展”することを決めます。
が、オンタリオ州政府は、親や企業による搾取から子どもたちを守るという名目で父母から親権を剥奪。「五つ子後見法」を成立させて、五つ子の出産を担当した医師であるアラン・ロイ・ダフォーを世話人に任命します。
そして、5人姉妹や関係者らが住むための施設「クイントランド」が建設されるのですが、彼女たちはそこで大人たちのビジネスに利用されます。施設は世界初の五つ子を一目見ようと訪れる人々に関連グッズなどを販売。すでに多くの企業の広告などに起用されていた姉妹たちのグッズは飛ぶように売れ、莫大な利益を出したといいます。
なんと約10年間にわたって施設からの外出を許可されなかったという五つ子たち。
その後、裁判の末に親権を奪取した両親のもとで暮らすようになりますが、年端もいかない幼いころから一部の大人のビジネスの道具として利用された彼女たちは、周囲の大人たちを信じることができず、18歳になると同時に独立。
その後、まるで親子関係を絶ったかのように連絡をとることもなく、五つ子の姉妹はそれぞれの人生を歩んだといいます。
5人はその後もアルコール依存や金銭問題、心的な病など、幼いころ置かれた状況に紐づいていると考えられるさまざまな苦難に苛まれるのですが、その話は、また別に機会に──。
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社会や時代によって、家族の在り方は変わります。
が、子どもが“未来そのもの”であることは、きっといつの世も変わらないはず。
世界中のすべての子どもたちが幸せを感じられる世の中でありますように......。