溶けゆく氷河を、人の手で育てる。数世紀受け継がれる「氷河の結婚」
氷河といえば、温暖化で「失われていくもの」。ニュースで目にするたび、私たちはどこか無力感を覚えます。けれどパキスタン北部には、氷河を「育てて増やす」人々がいる──しかもその方法は、最先端テクノロジーではなく数世紀前から口伝えで受け継がれた知恵でした。
氷に「性別」を与え、
高地で掛け合わせる
「Times of India」が2026年9月に報じたのは、パキスタン北部ギルギット・バルティスタン地域に伝わる「氷河の結婚(現地語でGang Khswa)」という技術です。
既存の氷河から「男性の氷」と「女性の氷」を採取し、標高4,000メートル以上の高地へ運んで掛け合わせる。すると数年かけて、新たな人工氷河が育つ──まるで植物の接ぎ木のような発想です。
設置場所の条件は厳格で、永久凍土があること、風が強く日照が少ないこと、できれば北向きの斜面であること。
井戸や洞窟の中に2種類の氷を配置し、インダス川の水を入れた粘土の壺で分離したうえで、おがくず・木炭・アプリコットの種を層状にかぶせて断熱します。
採取から設置まで最大48時間。数十人のポーターが木製のバスケットに氷を入れ、車と徒歩を乗り継いで運びますが、道中で氷を地面に置くことは許されません。融解との、文字どおりの時間勝負です。
儀式が「非科学的」とは
言い切れない理由
この実践には独特の作法が伴います。コーランの一節を唱え、「赤ちゃん」の氷河に子守唄を歌い、3つの掟を守る。氷は夜間に運ぶこと、運搬中は一言も話さないこと、そして埋めた氷河を少なくとも2年間は見に行かないこと。
一見すると迷信のようですが、バルティスタン文化開発財団のCEOナジール・アフメド氏が紹介するこれらの慣習には、実用的な裏付けがあります。
夜間の移動は気温が低く融解を防げる。沈黙はポーターの呼吸とペースを乱さない。2年間放置することで、人の出入りによる熱や振動が氷河の成長を妨げない。
儀式と科学が分かちがたく一体になっている。この構造は、日本の棚田や雪室のように、土地の暮らしから生まれた技術が経験則として合理性を内包しているのと、どこか通じるものがあります。
「自然から受け取るなら、
返さなければ不公正」
この技術は1990年代に復活しましたが、起源は数世紀前に遡るとされています。14世紀にはペルシャのスーフィー聖者ミール・サイード・アリー・ハマダーニーが防衛戦術として氷河を接ぎ木したという記録も残っているそうです。
人工氷河が十分な融雪水を届けるまでには数年かかります。それでもコミュニティが取り組みを続けるのは、予測困難になった乾季に農場や家畜、家庭を支えるためです。
ザキール・フセイン博士はこう語っています。「一生涯にわたって雪解け水を消費しているのに、何も貢献しなければ不公正だ」。
気候変動への適応というと、私たちはつい巨額の投資や最新技術を思い浮かべます。でも、木のバスケットと粘土の壺で氷河を「育てる」人々がいる。
ISAドイツはこの実践を「古代の知識と現代のイノベーションの出会いの場」と評しました。テクノロジーの外側にも、まだ私たちが学べる気候との向き合い方があるのかもしれません。






