大西洋を覆う3,800万トンの海藻。科学者が「駆除」から「保護」へ目を向ける
夏のビーチに打ち上げられた褐色の海藻が悪臭を放っているニュース映像、見たことがある人は多いかもしれません。
あの厄介者が、じつは地球上で最大の「浮遊する生態系」かもしれないと言われたら、どう感じるでしょうか。
「Yale Environment 360」が2026年9月に公開した特集記事は、大西洋を横断する巨大な海藻ベルトの「もうひとつの顔」を伝えています。
悪臭と健康被害、
それでも海藻は増え続ける
サルガッサムと呼ばれるホンダワラ属の浮遊性海藻が、メキシコからフロリダ、ブラジルから西アフリカまで約8,850kmにわたって帯状に広がっています。
2011年に初めて確認されたこのベルトは年々規模を拡大し、2026年夏には過去最大の3,800万メトリックトンに達しました。
これはアメリカ国民全員の体重を合わせた重さを上回る量です。
沿岸への被害は深刻で、30カ国の海岸線に漂着した海藻は、分解される過程で硫化水素やアンモニアを放出します。
卵が腐ったような臭いだけでなく、喘息の発作や呼吸器疾患の悪化を引き起こし、カリブ海では数千人規模の健康被害が報告されています。
観光業や漁業への打撃も大きく、ウミガメの産卵を物理的に妨げるケースまで確認されています。
「地球最大の浮遊バイオーム」
という再評価
ところが、同じ海藻を見る科学者の目は、ここ数年で大きく変わりつつあります。
ドイツのマックス・プランク化学研究所の海洋生態学者ジョナサン・ユングは、このサルガッサムベルトとそこに棲む生物群を「地球上で最大の、相互接続された浮遊バイオーム」と表現しました。
バイオームとは、ある気候条件のもとで成立する大規模な生物群集のことです。熱帯雨林やサバンナのように陸上で語られることが多い概念が、海の表面に浮かぶ藻の塊に当てはめられたわけです。
実際にNOAA(米国海洋大気庁)は、このベルトの一部を魚類にとって欠かせない生息地、そしてアカウミガメの重要生息地に指定しています。
炭素を吸収する役割も注目されており、駆除の対象と保護の対象が同一の存在に重なるという、厄介な矛盾が生まれています。
風が生んだ偶然が、
自己持続する生命系に変わった
なぜこの海藻ベルトは消えないのか。
2011年の出現は、北大西洋振動と呼ばれる大気の変動パターンが異常に長く続き、通常とは違う風が海藻を南方へ押し流したことがきっかけでした。
深海にあった窒素やリンが海面近くまで運ばれ、藻の成長を支えたのです。
しかし、その異常気象はとうに終わっています。
イタリアのCMCC財団の海洋学者アナリサ・ブラッコらが2026年4月に発表した研究は、興味深い答えを示しました。
海藻の周囲に急速に発達した生態系が、栄養塩を自らリサイクルし続けているというのです。
ブラッコは「風が引き起こした現象が、自己持続的な生物システムになった」と述べています。
偶然から始まった海藻の塊が、15年かけて自分自身を養う仕組みを獲得した。これはもはや「ゴミ」ではなく、ひとつの世界です。
私たちは海岸に打ち上げられた悪臭の藻を「気候変動の困った副産物」として眺めてきました。
でも、何を自然の一部と認め、何を排除するかという線引きは、思っているほど自明ではないのかもしれません。
厄介者と宝物の境界線は、見る角度ひとつで揺らぐものです。






