女性装をする東大教授が語る「新しい美しさ」の基準とは?

めまぐるしく働く中で、「自分自身でないもののフリ」をし続けていることに気づいたという、東京大学・東洋文化研究所の教授である安冨歩さん。男性のフリをやめ、「女性装」をはじめてみると、安冨さんの世界は変わりました。周囲の反応を肌で感じ、そしてある意外な“美の定義”が明らかになったと言います。

なぜ、世の中の女性は自分を美人ではないと思うのか。現代社会における「美しさ」とは何か。安冨さんの著書『ありのままの私』には、そのヒントが書かれていました。

女性装してわかった
意外な事実

私が女性の姿を探求するようになって、とっても驚いたことがひとつあります。

それは、私が結構「イケてる」ことです。

考えてもみてください。つい最近までヒゲもじゃだった五十過ぎのオヤジです。急に女性の格好をしたら不気味に決まっています。私が女性の格好をするようになったときには、当然、それを覚悟していました。

ところが、本当に不思議だったのですが、友人の女性たちは、私が自撮りした写真を見ても不気味がらず、それどころか「けっこうイケてる」「女子力、高い!」などと言ってくれました。

それで少し自信がついてきて、ならばもっと頑張ろう、と思いました。するとやがてある友人が「美人!」と言ってきたのです。 

なぜ、自分が
「美人」と言われたのか

いろいろ理由を考えているうちに、驚くべきことに気づきました。それは、現代社会の美人の基準がどうかしている、ということです。

・背が高い
・手足が長い
・肩幅が広い
・細い
・面長
・鼻が高い
・顎がスッキリしている

このような美人の特徴は、すべて男性の特徴だったのです。つまり、美人とは「オトコっぽい女性」のことだったのです。

私は身体的に男性ですから、上記の条件をほぼ自動的に満たす一方、どういうわけかウエストが細く、腰や太腿が太いので、ヒゲや胸をなんとかすれば「美人」分類に編入して、認識してもらうことが可能なのです。

女性が「美人じゃない」と
謙遜する理由

男っぽい女性を女らしい女性の上位に置くことで、ごく少数の女性が「美女」ということになります。すると大半の女性は「私は美女じゃない」と思い込んで、自己嫌悪に陥ることになります。

しかし、こんなくだらない価値観を、女性自身が抱く必要などまったくありません。女性は、自分自身を十全に生きることで美しくなるのであり、身長とか体重とかで美しくなるのではないのですから。

「美しさ」とは何か?

思い返せば、「自分は、美しさなどとは無縁だ」と思い込んでいた男装時代、そのことが私を深く傷つけてきたことに気づきました。そこに女性装するかどうかは、関係ありません。男性として生まれたら「美」とは関係ないよ、というそれ自体が男に対するひどい暴力なのです。

しかし人間には、男女を問わず、美しさが不可欠なのです。

美しさとは、作るものではありません。掘り出すものです。自分自身という金鉱を探し出して掘り当てる。そうする人は、美しくなるのではないでしょうか。

美しくなるために最も大切なことは、自分自身を生きることなのです。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。