「男性のフリは、やめました」。女性装で話題の東大教授が見つけた「自分」
東京大学・東洋文化研究所の教授である安冨歩さん。大学卒業後は住友銀行に就職し、2年半ほど勤めていたと言います。そこでは、優秀なはずの人々が、嫌々ながら、身を粉にして働き、その挙句に過労死する人まで…。なぜそんなことが起こったのか。二十年以上研究してきたその答えは「自分自身でないものになろうとするから」でした。
「自分自身でないもののフリ」をし続ける社会で生きているうちに安冨さんが気づいたのは「自分は男性のフリをしている」という事実。その違和感から、「女性装」をはじめることになったそうです。
ひとくくりにはできない、性別多様性。安冨さんの著書『ありのままの私』を参考に、理解を深める機会にしましょう。
「トランスジェンダー」と
「トランスセクシュアル」
の違いって?
「トランスセクシュアル」というのは、医者による手術によって、性別を変更しようとしている、あるいは変更した人を指します。これに対して「トランスジェンダー」は自分の性別に違和感を覚えますが、別に手術を必要としないケースのこと。異性を好きになる人もいれば、同性を好きになる人もいますし、両方を好きになる人もいます。
また、ゲイの男性で女装している人とは違い「オネエ言葉」を使う人がいません。なぜなら、自分のことを女性だと思っているからです。
「性同一性障害」は
存在しない
性同一性障害という言葉は〝gender identity disorder〟という英語を、元の言葉よりさらにひどい意味に訳したものですが、これは、人を支配あるいは破壊するために捏造された、危険な概念です。
〝gender〟は「性別の」、〝identity〟は翻訳不可能な言葉、〝disorder〟は〝order〟(秩序)の反対の意味なので「無秩序、混乱」。
大人は、生まれた子供を男集団・女集団に振り分けて、それぞれの集団にふさわしい振る舞いをするように圧力をかけます。これによって「帰属」という「アイデンティティ」が生まれ、この帰属意識の形成がスムーズに行われるなら「秩序」が成り立ち、男のくせに女の服を着たりすると「無秩序」になって社会が崩壊する、という考え方です。
私のような者に対して嫌悪感を示す人々は、このような事情を感じているのではないでしょうか。
「無秩序」への「差別」
男女差別主義者にとって、「性同一性障害」という概念は実に便利です。男女の帰属を乱す者は「かわいそう」な「障害」を持っている「異常者」だ、と思えばいいからです。
しかしこの場合、「性同一性障害」はまだ受け入れ可能なのです。なぜなら、身体的区分けと、社会的区分けとの不一致に悩んでいる人を「障害」と認識しているのであれば、手術して両者を一致させてあげればいいから。
「心と身体との性別の不一致」という状態を手術することで一致させ「性別再割り当て」といった、神様のような役割を医者に果たしてもらうのです。
私のように、男性だけれども女性の姿をしていないと落ち着かない人間は、自分をどういう言葉で呼べばいいのかというと、なかなか適当な言葉がありません。いろいろ考えた結果、私は「自分を分類する必要など、どこにもない」という結論に至りました。
私のように異性の姿をしている人だけでなく、誰だって、「男」でも「女」でもないのです。そういう分類そのものが暴力なのです。