死ぬなよ、親父……。人生の終わりに近づく父の写真を息子は撮り続ける

2014年の4月に医師から告げられた病名は肺癌。それも、末期症状のステージ4だった。これが、写真家のShin Noguchiにとって人生で初めて、父の知らない「父の秘密」を自分が知ることになった時。

その日から、人生の終わりに一歩、また一歩と近づく父親をファインダー越しに見つめ、「死ぬなよ、親父……」と、祈るようにシャッターを切る。息子と父親の日々のなかに、私たちはどんな死生観を抱くだろうか。

2014年 父83歳 鎌倉市の大町にて撮影

父がステージ4の肺癌だということを医師から聞かされた後のこと。鎌倉にある私の家を訪れた父の背中を見た時に初めて、“父の秘密”を、しかも本人が知らない秘密を知ってしまったなかでシャッターを切ったことは、昨日のことのように鮮明に覚えている。年に数回しか会えないが、父の姿を撮り続けていこうと決意した瞬間だった。

 

ファインダーを向けると、「撮っておけよ、そろそろ俺も終わりかもしれないからな」そう、冗談交じりに父は笑う

 

昭和5年生まれの父は戦時中に兄を亡くしており、「戦争があと数日続いていたら俺も散っていただろう」と、まだ学生だった私に語ってくれたことがある。

 

とにかく、強く生き抜いてきた父のようになりたくて体を鍛えてきたが、46も離れた父に勝てる気がしたことは一度もなかった。

今まで、憧れてきた強い男が、私に笑いながら弱音を吐いたその時、力が抜けて思わずカメラを下ろしそうに…。

それでも撮る。心からの本音を勇気をもって息子に話してくれた父に向かって、このシャッターを切るのは、私なりの最大の礼儀だと思うから。

2014年 父84歳 鎌倉市の大町にて撮影

今年の6月28日に87歳になった父は、医師の宣告から4年目を迎えた。ステージ4の肺癌の生存率は5年で10%未満だという。

 

昔からタバコを吸っていたので、肺癌と聞かされた時に、あまり驚きはなかった。不慮の事故で亡くなってしまった人がいる、震災で多くの人々が家族を失い、また自ら命を絶つ人たちもいる。

 

父の元へ癌がやってきたことは、父自身も覚悟してのことだったろうと感じているから。私はそれを受け入れて、父が死を恐れる日がくるのであれば、その時はそばにいてあげよう。そう心に誓った。

2016年 父85歳 娘の琴与と 相模原にて撮影

普段は、母と二人で暮らしている父。昔から料理が好きな人だったが、このステージ4の宣告から3年が経つと、買い物に行くことすら体力的に困難に。ほとんど部屋で静かに過ごすが、それでも母に連れ添ってもらい、少しでも歩けるようにと、努力を続ける日々。

 

だけど、どんなに辛い時でも、娘達や甥っ子達と会う時は、孫と遊ぶ優しいおじいちゃんの姿を見せてくれる。

2017年 父86歳 甥っ子のケンケンと 相模原にて撮影

実家の近くに住む姉は、今月の21日で10歳になった小児脳性麻痺のある息子のケンケンと暮らしている。

 

まったくと言っていいほど、自身の時間が取れないなか、それでも献身的に両親の元へ足を運んでサポートしてくれている。もう、姉に対して感謝の言葉もない。

2017年 父86歳 相模原にて撮影

孫が遊びに来る日は、必ずお得意の天ぷらやトンカツを振るまう。でも、料理を作り終えて、子どもたちが父がいる部屋から出ると、苦しそうな表情で一人で休むのだ。

 

それでも、タバコを一服吸う父と私の間には決め事がある。「孫の前では吸わないこと」、そして「布団の上で吸わないこと」。その2つの約束だけは、父に守ってもらう。

2016年 父86歳 相模原にて撮影

2017年 父86歳 相模原にて撮影

2017年 父86歳 相模原にて撮影

2017年 母75歳 相模原の母の部屋にて撮影

「これがパパが完食できた最後の食事になってしまったのかな…」そう、母から聞かされて見せられたのは、母が撮った記録写真。

 

撮影した翌日に、「特製の魚の煮付けを一口だけ食べてくれた!」と、喜びのメールが送られてきたが、それから数日、なにも口にしていないという。

2017年 父87歳 相模原にて撮影

父に秘密にしていた肺癌末期という事実を、私が知った半年後に医師から本人に告知されていたことを家族から聞かされた。

 

あれだけ力強く背中の大きかった、昭和を生き抜いた男。だけど、日に日に弱ってきていて、確実に最期は近づいている…。それでも今は、「変化のある日々」が愛おしい。

2017年 父87歳 病院の検査に向かう 相模原にて撮影

2017年 父87歳 母に支えられ 相模原にて撮影

父のそばにいつもいる母。

どうしても「昨日よりも弱っている父」から、離れることはできない。だからこそ、私は「父が生きた瞬間」を写真にして、これが家族にとってかけがえのない思い出として残ることを切実に願っている。

2017年 父87歳 医師から父の病状を聞く 診察室にて撮影

2017年 父87歳 そのまま入院となった 病室にて撮影

「幸」も「負」も感じることのできるこの瞬間こそ、人間として生きる“価値”があるのではないだろうか。

 

私は、父を撮り、そこに確実に存在し、また進行する癌と、それと懸命に向き合っている家族、そこから生まれた特別と言っていい空気感を、この写真に残したい。

 

この「ごく普通かもしれない家族写真」が、誰かにとって自分の中にある“何か”と向き合う機会になれたら。そう思って、私は父の写真を撮り続ける。

2017年 父86歳 相模原にて撮影


【編集後記】

Shin Noguchiと父の写真は、本当に何気ない日々のように見えます。でもNoguchi氏が、父と父の病気と向き合うように、何が幸せで「今」をどう生きるのか……私自身も自分の人生について考えさせられました。

ごくごく普通の家族写真、とNoguchi氏は表現しますが、シャッターを切る瞬間の彼の心の動きが、写真から流れ込んでくるような気がします。自分の周りにいる大切な人たちと、どう向き合って日々を送るのか、考えるキッカケを与えてくれました。

最後に、Noguchi氏の写真家としての活動を紹介します。


 

Shin Noguchi

ストリートフォトグラファー、鎌倉在住。2つの異なる視点から日本の日常の美しさ、社会の問題点などを世界に発信し続けている。1つは絶対非演出のなかで人々の生きる姿を数々の非日常のシーンとともに捉えたシリーズ『Something Here』。もうひとつは、人々の姿を一切入れることなく人間の業と、社会のあり方を問い続ける、日本独特の「間(ま)」を捉えた『Nonverbal Space』。また、Instagramでは写真家である彼の視点で撮影した、ポーズのない何気ない家族の日常写真を公開。 

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。