廃墟の女王で、膝わらう。
廃墟の女王に近づけるぞ
(しかも合法で!)
7月19日、私は神戸・三宮行きの新幹線でにやけていた。なぜなら、仕事という名目で「マヤカン」を見れるからだ。
『摩耶観光ホテル』、通称:マヤカン。かの軍艦島が“廃墟の王様”ならば、マヤカンは“廃墟の女王”。青々とした山のなかにたたずむ、アール・デコ調の建築。その優雅で神秘的な姿に魅了されるファンも少なくない。
マヤカンのような名高い廃墟を、不法侵入などではなく合法で、しかも白昼堂々と見れる。そんな噂を聞きつけて取材を申し込み、私が参加することになったのが「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」だった。
これは、地元団体「摩耶山再生の会」が運営するガイドツアーで、山道を下りながら摩耶山の歴史や信仰の跡をたどることができるというもの。そのコースにマヤカンが含まれているというわけだ。
頭の中はマヤカンで一色の私の脳内。しかしこの数時間後、私は摩耶山のポテンシャルに打ちのめされることになるのだった…。
ガイドウォークの、その前に
参加するにはまず申込が必要だ。ガイドウォークの日時および予約フォームのオープン日はこちらから確認することができる。
ちなみに、予約フォームがオープンするのは実施日から3週間前の13時。摩耶山再生の会・事務局長であり、ガイドを務める慈憲一さん曰く「30秒でいっぱいになるんです」とのこと。クリック合戦必至なので、予約開始日の予定も確認しておくことをおすすめする。
参加費は1,770円(保険料含む)+まやビューライン乗車料(大人1,230 円、小人630 円)。これは当日受付にて支払う。
当日は歩きやすい服装で、飲み物、タオル、帽子、雨具を持っていこう。
13:00 摩耶ケーブル駅に集合
集合場所は摩耶ケーブル駅集合(受付は12:50より開始)。クリック合戦を勝ち抜いた参加者たちがぞろぞろと集まり始める。参加者は、地元の方もいれば、産業遺産の観光資源化について学んでいるという学生もいた。
13:20 摩耶ケーブルに乗車
「今日はようこそおいでくださいました!」
車内では慈さんからの挨拶、そして今日のコースの説明がある。天候、山道の状況などによって、コースは変わるそうだ。
ちなみに、摩耶ケーブルは大正14(1925)年1月に開業した歴史あるケーブルだ。地元・灘出身の慈さんにとって思い出深いものらしく、「摩耶山再生の会」を始めるきっかけとなった路線でもある。
5分ほどで、摩耶山の中腹にある虹の駅へ。涼しい。それもそのはず、下の市街地と比べると摩耶山中はマイナス5度なのだという。
「涼しいんですけど湿度は高いので、熱中症になる可能性があります。飲み物は忘れずに!」
13:35 摩耶ロープウェーに乗車
中腹の「虹の駅」と山頂の「星の駅」をつなぐのは摩耶ロープウェー。
こちらは、昭和30(1955)年7月に「奥摩耶ロープウェー」として開業し、当時は「100万ドルの夜景を見れる」と人々に愛された。阪神・淡路大震災で休止したが、平成13年3月に再開。ケーブルとならび、歴史ある乗り物だ。
ふと後ろを振り返ると、そこにはマヤカンの姿! ゴンドラ内、ざわつく。
「8月、マヤカンを散髪するんです。草むした感じを見れるのは次回が最後かな」
今夏の参加者は、これよりさっぱりしたマヤカンを見れるよう。
「摩耶山は尾根道が旧参道になっています。今は木が茂って見えなくなってますけど、石がずっと連なっているので、本当は万里の長城みたいに見えるんです。その参道の上に天上寺がありました」
木の茂みに隠れて見えない旧参道を、これから2時間かけて下りる。運動不足を呪ってももう遅い。ゴンドラは5分ほどで山頂へ。
13:57 スタート地点、絶景!
スタート地点の掬星台。ここから見える神戸の夜景は、日本三大夜景のひとつとして有名だ。
ちなみに、神戸港で行われる「みなとこうべ海上花火大会」)の花火は、掬星台からは見にくいそうなのでご注意を。中腹の虹の駅からは綺麗に見ることができる。
ここで、ガイドを聞くためのトランシーバーを受け取る。山中では列になって歩くことも多いので必須アイテムだ。
そして、誓約書にサイン。コースに含まれている摩耶観光ホテルと摩耶花壇は私有地のため、それぞれオーナーへ提出するのだという。
慈さん率いる「摩耶山再生の会」が目指しているのは、あくまで摩耶山全体を活用し、地元・灘を盛り上げること。そんな慈さんの意を汲み、各施設の所有者は立ち入りを許可してくれている。ガイドウォークは、そんなオーナーさんたちとの協力もあって成り立っているのだ。
14:05 ガイドスタート
まずは掬星台のすぐそばにある奥摩耶遊園地跡。
ここは、戦時中に高射砲陣地を設置するために切り拓かれた場所だ。結局、設備が整うより先に終戦をむかえたため、軍事活用はされなかった。その後、昭和30(1955)年の摩耶ロープウェーの開業に合わせて作られたのが奥摩耶遊園地だった。
「奥摩耶遊園地は、昭和42(1967)年の水害で被害を受けて、徐々に廃れていきました。今遺っている縁石は遊園地の花壇の跡だったりして、よく見ると遺構があるんですよ」
14:10 下山スタート
山道を下りていくと、かつての摩耶山の賑わいや信仰の跡が次々と現れる。
ここは、天狗岩大神。神々が降り立つ磐座として信仰を集めた「天狗岩」という巨石がある。
修験道の行場であり、神聖な場所とされていた奥の院跡。
旧天上寺の境内にあった三権現社跡。
土台の石だけが遺る祠の跡。
「祠は潰してしまっているんですけど、中身は今、天上寺さんの本堂の中にいます」
あたりには貴重な原生林が広がり、ミヤコザサの群生やツガ、アカガシ、スギの古木に囲まれている。というのも、摩耶山は瀬戸内海国立公園の一部。天上寺があったため、六甲山と比べて木が伐採されず残っているのだという。
「ここは特別保護地区。尾瀬や富士山の7合目、8合目あたりと同じ扱いなんです。国が“守らないかん”って言ってる特別な山なんですよ」
落ち葉1枚でも、持って帰ると罰せられる。ちなみに、年代ものの空き缶(?)も取って帰ったら怒られます。
「ここの石垣は、山の石で作られたんじゃないんですよ。下から1個ずつ、1個の石を5人くらいで運んで、何十年もかけて作った。摩耶山は、要はピラミッドなんですよ。だから僕は“マヤ遺跡”って名前をつけたんです」
そんなツアー名の由来も聞きながら、時間と労力をかけてコツコツ作られた“マヤ遺跡”に思いを馳せる…。
14:32 旧天上寺跡に到着
摩耶山の信仰の中心であり、遺構の根源である旧天上寺跡へたどり着いた。
天上寺こと、摩耶山天上寺が創建されたのは大同8(806)年。大化2(646)年にインドから渡来した仏道仙人がここに観音霊場を開き、唐から帰った弘法大師が釈迦の母・摩耶夫人の像を安置したのが始まりといわれている。昭和51(1976)年の山火事で、礎石を残して焼失してしまった。
「テレビ観てたら、ニュース速報で天上寺が火事やって流れて。山見たらうわあって燃えてました。山の上で消火活動もできないから、燃えっぱなしで石垣だけになって、全部綺麗に焼けましたね」
ちなみに今は別の場所に再建されているとのこと。
マヤ遺跡ツアーは、慈さんの幼少期の思い出を交えながら進んでいく。摩耶山は初体験の私だが、ふと、小さいころ兄とかけまわった実家の裏山のことを思い出した。浮かぶ風景は違えど、慈さんもそんな気持ちなのだろうか。慣れ親しんだ場所が消えてしまうのは、やっぱり寂しいものだから。
って考え事してたら目の前には長い石段。約300段あるとのこと。膝、笑う。
14:43 まだまだ続くツアー
摩耶の大杉に到着。
幹周りは8m。樹齢1000年ともいわれ、その生命力から大杉大明神と崇められてきた杉だ。旧天上寺の火災から徐々に弱り、枯れてしまったが、今でも圧倒的な存在感を放っている。
「しめ縄の跡も残ってるんです。ちなみに、頂上の掬星台の近くには、このほぼ80%くらいの『摩耶の小杉』があります。そっちは今でも生きていますよ」
こちらは仁王門。
江戸中期〜後期のもので、焼失はしなかったものの、桧皮葺の屋根や小屋組みは損傷がひどく、近年撤去されてしまった。
「ぶっさいくな言うたらあれやけど(笑)、今はトタン屋根なんです。ほんまは復活させたいんですけども、何往復かかるかわからんから」
この立派な仁王門を作った当時の人の苦労は、相当なものだったのだ。
「これ、左に傾いてるんですよ。ガシャッと全部崩れて、参道ごとなくなるかもわからん。だからね、写真撮っといてください、次コース変わるかもわからんから(笑)。それくらい摩耶山・六甲山は、ひと雨ごとにコースが変わったりするくらい、軟弱な地盤にあるんです」
“永久にあるかわからない”——その言葉にカメラを構える参加者たち。
一方で、慈さんの姿勢は、それを「何がなんでも修繕して守り続ける」というものではなく、自然に任そうとしているようにも見えた。いつか消えてしまうものを守り続けるということは、どういうことなんだろう?
そんな思いを抱えながら、歩みを進める。
これはアメヤ跡。
山の水がここに溜まって冷却装置の役割を果たしていた。ここであめ湯やラムネ、トマトやアケビを冷やして売っていたという。
こちらは宝篋印塔。
もとはお経を納める塔として建てられた。遺構のなかで、これだけは壊されずに遺っているそうだ。
「ここは戦前、虹の駅から天上寺の入り口までの道をバスで繋ごうという計画がありまして、阪神電鉄が免許をとったんです。けど、“どうやってここにバス持ってくんねん”って(笑)。上で組み立てようと思ってたんかもしれないですね。戦後に免許を返還しましたけど、当時は夢のある人がたくさんいた」
そんな夢の跡を突き進む一行。気づけば、まだマヤカンはもとより、摩耶花壇にすら辿りついていない。なのにこのボリューム。摩耶山、すごい。と思っていた矢先。
「次は、摩耶花壇です」
いよいよ我々は廃虚ゾーンへ突入するのであった…。