後先は考えてなかったけど、こんな準備はしてました。

今しかできないことがある。あとになって初めてわかることがある。何が正解かはわからない。少しでもいいからヒントは欲しい。そこで、好きなことを仕事にして活躍しているこの2人にお話を聞きました。

テーマはズバリ「自己投資」。これまでにどんなことを経験してきたのか、未来のために日々どんなことを考えているのか。参考にしてみて!

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普通なんて存在しない
奇妙なものも存在しない

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佐藤 健寿さん

──ズバリ「自己投資」ってされてましたか?

佐藤:正直、後先考えない感じなので、僕の話は参考にならないんじゃないかなというのはあるんですけど(笑)。

強いて言うなら、両極端なことをやっているということでしょうか。例えば、海外のわけのわからない廃墟や奇妙な景色を撮って本をつくるかたわら、広告やアパレルの仕事のほか、企業のコンテンツ監修も頼まれたらやります。

どんな仕事でもある程度慣れてくると、どうしても接する人が限定されてくる。それがいやで、いろいろなことをやっているというのも大きいです。接している世界が広いほど、自分のやってることに役立つと基本的には思います。

出版業界の人だけ、テレビの人だけ、ウェブの人だけ、というふうに付き合っていると、その界隈で面白いことだけが、自分にとって常識になってしまうと思うんですよ。

──当たり前になってしまう。

佐藤:旅行に関しても、旅行本や雑誌の世界の人とばっかり接していると、そうでない人の価値観がわからなくなってしまうのではないかなと。

だから、割と自分が接している範囲って広い方だと思うんです。全然種類の違う雑誌に同時に入稿するみたいな。それは仕事の幅にも直に現れますね。

──なるほど。

佐藤:カメラメーカーの方とテクニカルな話もするし、一方では編集者と民俗学的な話もする。多面的に接していると、いろいろなところから仕事がくるし、いろいろな人やものの考え方も知れます。

そういうことが、自分の作品にも役立っているだろうし。

──振り幅が広いですよね。

佐藤:何が普通で何が奇妙かって人によって違います。日本のトカラ列島には、ボゼっていう変なお祭りがあるんですが、現地の人たちはそれが変なお祭りだとは思ってない。

そこには、人口60から120人くらいの島が7つくらいあって、環境自体もかなり特殊ですが、島の人たちは当たり前のこととして受け入れている。だけど、東京に暮らしている我々からしたらとんでもない場所。お祭りも謎だらけだし、つまり奇妙に見える。

本をつくるときは便宜上「普通の人に見て欲しい」という言い方をよくするんですけど、実は普通なんて存在しない。ということは、奇妙なものも存在しない。誰にとって何が奇妙かというのは千差万別だから、いろいろな人や文化に接して、とにかく視野を広げるということでしょうか。

──100カ国を超える国々で撮影し、テレビ番組にも出演、書籍を出版したりと、お仕事は多岐にわたっています。そうしようという意識はもともとあったんでしょうか?

佐藤:ありませんでした。こんなことが仕事になるって自分でも思ってなかったですし。結果的に仕事になったというか、させていただいているというか。

自分でもよくわかんなくて、12月だけで考えても、インドの僻地に行って、帰ってきて作家の方と対談して、来月発売の写真集を校了して、ドローンに関するインタビューを受け、コンテンツ監修をしている企業の人と会って、さらにテレビや、アパレルブランドの仕事もやっていました。で、今日は「自己投資」について話している。

──写真家を目指す人に相談されることもあるのでは?

佐藤:聞かれますね。そういうことをやるのにどうしたらいいですか、って。いろいろな答えがあるからわからないけど、若い人に聞かれたときに一つ思うのは、一番尊いのはおそらく時間だということ。お金よりも大事。

だからこそ、若いうちに時間とお金を秤にかけるなら、時間のためにお金を使ったほうがいいと思っています。

──と言いますと。

佐藤:写真っていうのは、機材ありきの仕事です。写真家的にいえば、もちろん安いカメラでもいい写真は撮れる。だけど、ある機材、あるレンズじゃないと撮れない写真がどうしてもあるんですよ。

機材なんてツールでしかないからいいに越したことはない、という程度の意味でもありますが、若い人はほどほどのやつを選んで、ちょっとやってみようということもあると思うんです。

だけど、僕は常に自分が買える範囲で一番いいカメラを買ったほうがいいと言ってます。そうした方が必死にもとを取ろうとして学ぶし、最終的には作品に返ってくる。

旅行もそう。お金はいずれ取り返せるけど、今の、いろいろなことを経験できる時間と感性は一生取り戻せない。年取っていいカメラ買っても、そのときは面白い場所に行けなくなっているかもしれないですし。

──体力的にも。

佐藤:そうですね。そういう意味での自己投資でもあります。経験値が上がれば上がるほど、良くも悪くも身のこなしが上手くなる。いろいろなことが経験でカバーできるようになるということは、新鮮さがなくなってくるということでもありますよね。

20代前半で旅に行ったら、インドで道を歩いていておっさんに話かけられるだけで興奮するし、そこに何か過剰な経験が発生するじゃないですか。

最近インドに行きましたが、めちゃくちゃスムーズでしたからね。デリーってこんな安全だったっけ?みたいな。何にも起きないですから。

──(笑)。

佐藤:現地の人に話しかけられても、今ならどれが必要か不要かわかるから、とくに何も起きない。別にドタバタ旅行記を書きたいわけじゃないから、無駄に街の人と接したり、家に行ったりもしない。若い頃はありましたけど。

20代のときに辿ったルートへ、40代でもう一度行ってみたら、驚くほど何も起きず、何も感じなかった、という旅行作家の話も聞いたことがあります。それって、やっぱり自分自身もその年齢、経験値だったからこそ体験できたことで、そればかりは年を取ってからでは取り戻せないのかなと。

──子どもの頃はどんなことに興味があったんですか?

佐藤:UFOとかミニ四駆とかが好きで、普通でしたよ。みんな好きだったと思います。

──アメリカに留学していたときにエリア51に行かれています。そういう子どもの頃から気になっていた場所に、実際に行っている感じ。

佐藤:そうですね。エリア51って何もないんですよ。立ち入り禁止の看板が立ってるだけで。未舗装の砂漠の中を走っていくみたいな。

──案内した人が怖がっていたと聞きましたが。

佐藤:アメリカのUFO研究家と、ある秘密施設で働いていたという人と一緒に、軍事基地みたいなところに行ったときですね。エリア52と呼ばれている場所がユタ州にあって、同行している男が急に渋ったんです。近くまで行ったのに「ここで車を止めて待ってるから勝手に行ってきてほしい」って。

わるいけどなんかあったら逃げるよ、ってくらいの感じ。そしたら、そいつ本当にいなくなっちゃって。で、あとで合流して「どうしたの?」って聞いたら、追ってるやつがいたからとか言ってて。

違う場所に移動したら、またビクビクしだしたんです。いきなり真っ暗な砂漠の中で車を止めて、そいつが拳銃を取り出したんですよ。で、ドアあけて映画みたいにウィンドウのところで構えて。そうしたら「今あそことあそこに光が見える。追われてるから静かにしろ」って言うんですよ。

こっちはとにかく同行者が拳銃持ってたってことにびっくりで、大丈夫かなって。10分くらいしたら「消えたから今もう逃げよう」って、すぐ逃げたことがあります。

──そういった体験は多いんでしょうか。

佐藤:滅多にないですよ。基本的に避ける方。ただ、避けがたいこともたまにある。

僕がやってることの根幹に関わる部分でもあるんですけど、僕たちから見ると一見非合理的なものが多いんです。ただ、それがある種合理的であることっていうのも多々あって。

おまじないとか呪術もそう。これとこれ飲んだらいいよって動物の骨を渡したり、凄く非科学的な話なんですけど、実はそれが現地においては民間医療として、正規の医療にお金を払えない人の受け皿になっていたりする。

実際、病気といいつつ、単にわるいことが続いて気を病んで鬱っぽくなってることも多いから、それに対してはそういうものが支えになっていることもある。だから、何が合理的で何が非合理的かというのは一概ではないですよね。

──ご自身で運営されているサイト「x51.org」(※)にも多数掲載されていますよね。

(※)2002年に佐藤氏が開設し、運営していた個人ウェブサイト。2004年Blog of the Yeah!大賞など、様々なアワードを受賞。

佐藤:大学を卒業するタイミングで、その後もみんなでやりとりできるように掲示板をつくったんです。Perlというプログラミング言語を使えたので、それで作りました。

そしたら、海外でブログシステムが流行って、ブログってなんだ!?みたいな特集が出てきた。なんだろうと思って調べたら、今でこそ当たり前になった、コンテンツマネージメントシステム(CMS)が出始めた。

それを使って毎日記事を更新していたんです。当時のウェブって、テキストサイトと言われて、みんなそれぞれ勝手にブログを作ってたんです。

──インターネットに触れたのが早かったんですね。

佐藤:第1世代は、多分、今45〜50歳の人たちで、僕らはちょっとあとの第2世代というか、1.5〜2世代くらい。ブログからスタートしました。

──サイトはいろいろな仕事に繋がりましたか?

佐藤:変な認知はあって、運営していたのは2006年までなのですが、いまだに「見てました」と言われることも多いです。

当時のトレンドは、ハンドルネームでプロフィールには犬の写真を使ったりと、誰が運営しているかわからないって感じが当たり前でした。だから、顔出してどうこうっていうのはなかったんですが。

その頃は、海外のハッカー文化にも影響を受けました。みんなとてつもないスキルを持ってるけど匿名だったりして、かっこいいなと。そういうアノニマスな雰囲気のサイトにしたかったのに、変に目立って賞をもらってしまったり。

授賞式にも行きませんでしたが、2007年に本を出そうってことになり、さすがにハンドルネームで出すのはいやだなというのがきっかけで名前を出しましたね。

──最新のモノやシステムへの興味関心が強いですよね。

佐藤:そうですね。常に新しいドローンを試したり、カメラバッグ探しが高じてメーカーと専用モデルを開発していたり。

──どうすればそんなに好きなことができるんでしょうか?

佐藤:逆にきらいなことが苦手で、能力にムラがあるタイプなんです。子どもの頃からそうで、好きなことなら10時間でも12時間でもずっとやっていられるんですけど、苦手なことになると途端に低性能になりますから。

未だに覚えていますけど、大学1年の時どっかのカフェでバイトしていて、いきなり厨房やれって言われたとき、どのお酒に何入れるってことが全然覚えられなくて、凄く怒られたんですよ。周りにいた奴は要領よくやってて、簡単なレシピなんですけど、自分は覚えられなくて。

好きで得意なことと同じくらい、興味がないなことがほんとにダメっていうのがあるから、そういうのを避けつつやってます。

──意外でした。

佐藤:もう一つは、ざっくばらんにいろいろなことをやっているようで、自分の中ではコントロールできる範囲に収めている。常に新しいことはやりたいですけど、全く未知のことをやるわけではなく、半歩踏み出す感じで試す。

いろいろやってるようで、割と自分の趣味とか興味の範疇、延長線上にすべてあるんです。点と点を結ぶと線になるなんて話はよく聞きますけど、そういう感覚は自分の中にもあります。

だいたいUFOなんか何のお金にもならないと思いますし、旅や写真だって普通はそうです。ところが、一つひとつは弱い点でも、繋がると見たことのない線になり、自分にしか描けないコンテンツになる。つまり強みになる。それが今の仕事につながっています。

──羨ましい限りです。

佐藤:子どもの頃から三国志が好きで漫画も読んでいたんですけど、その知識が買われて、あるとき雑誌の中国特集で現地の遺跡を撮影して巡ることになったんです。そんなことすら無駄にならないものなんだな、と思いましたね。

昔プロになりたいくらいギターを弾いてたことも、さすがに演奏は仕事にはなってないけど、ギターできるってことで仲良くなる人は多いし、そこから仕事に繋がることもある。それに、音楽の考え方って、本を書くリズムとか、いろいろなものに応用がきく。

何一つ無駄なことってない、と自分は思っています。バイト先でスパゲッティをつくることに失敗して怒られた経験すら、何か自分に生きているはず。

──何をしてもいい。

佐藤:若い人向けの本を読んでいると、病的なまでに合理性を求めているものがあるでしょう。電話は無駄とか、まあ、それはどうでもいいけど、人間ってそもそも合理的な存在ではない。

凄く非合理的なことばかりやってる存在だから、動く前になにが合理的かとか考えすぎないで、何やってもいいと思うんですよ。

一見すると非合理的な行動が、あるとき裏返って合理的になることもあるし、その逆も当然ある。だから、いろいろなことを経験したらいいし、そこからどんな線をつくるかが自分のラインであって。

僕はUFOみたいな不思議なものっていう点がまず一つあった。そのあと写真に目覚める人はいると思うんですけど、その二つの点はなかなか結びつかないんです。でも、僕の場合はそこを結びつけることができた。今っぽい言葉で言うと、文脈を与える。

──はい

佐藤:その文脈を違和感ないように、整合性を持って届けることができればいい。僕の場合、『奇界遺産』という言葉をつくったんですけど。この段階でも失敗したらよくある安っぽい写真集になっちゃうわけです。

だから、一流のデザイナーにデザインをお願いしてオシャレにしつつ、一方で大ファンだった漫☆画太郎さんにイラストをお願いしたりもしました。さらに市場を広げるという意味もありますが、いろいろな文脈をごちゃごちゃにくっつける。

言葉でいうと簡単なんですけど、そこにある程度の説得力が必要なんですよね。漫☆画太郎先生のイラストを入れたいと言ったときも、出版社の人になぜ?と言われましたから。

「自分の好きなことを仕事にしていていいですね」とたまに言われますが、自分なりに分析すると、本来脈絡がないであろう自分の好きなものをくっつけて一つにするということを、僕はずっとやってるのかなって思います。

あの時お母さんバカだったんだよ!って
ちゃんと言えるようになりたい

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犬山 紙子さん

──2017年は出産や新作の発表など、変化に富んだ1年だったのでは?

犬山:今、感覚がオセロみたいにひっくり返っている瞬間なんです。

1月に子どもが生まれてから、ただの夕焼けがものすごい素敵なものに見えたり、これまではなんとも思わなかった風船売り場も、なんて愛に満ち溢れた場所なんだろう、って思えるようになったり。ただ散歩をしているだけで街が黄金に輝いて見える。そういうことが本当にあるんだなって。

2017年は、これまで気づけなかった良さとか楽しみにどんどん触れ合えました。2018年は、これまでと変わらず、仕事とプライベートを大事にしながら発見の日々を送りたいなって思っています。

──作家として、タレントとして、お仕事への向き合いかたも変わったのではないでしょうか。

犬山:娘が保育園に行ってる間に取材を詰めて、眠ったら執筆。変わったことはスケジューリングですね。原稿を書くスピードはめちゃくちゃ上がりました。

とりかかる前にいつの間にか2時間ネットサーフィンしてたとかザラだったんですけど(笑)。ダラダラしなくなるんです。ぎゃっと仕事して、ぎゃっと遊ぶ、みたいな。

私は子どもと一緒にいたいけど、仕事も大好きで。でも、ちっちゃい赤ちゃんと一緒にいられるタイミングって短い。これを見逃すのは凄くもったいない、どうバランスをとるかが自分の中で一つのテーマになっています。

──テレビ番組へのご出演もありますよね。

犬山:正直、復帰後、仕事は連泊の出張以外はセーブしていないんです。テレビやラジオも入れると週3、4日でお仕事があって、子どもと過ごす時間とのバランスがちょうどいい塩梅。地方にも隔週か週一くらいで行ってる感じです。

とはいえ、子育てってどんどんお金が出ていく。だから、今月はたぶん赤字です……(笑)。

──保育園や赤ちゃんグッズなど、かかりますし。

犬山:そうですね。それに、いろいろなことを我慢して寝る時間を削ったりすると、あとでもっと重大なことに繋がっていくというのは、母の介護で経験していて。健康とメンタルを守ることを重要視しているから、必要経費だと思い赤字覚悟でバンバン使っているというのもあります。

たとえば区の家事代行サービス。1時間1,000円でシルバー人材センターを利用できて、年配の方に家事を手伝っていただけるんです。それだけで私も夫も気持ちがぜんぜん違う。

お風呂掃除も頼めるので、定期的にお願いすると水場がつまらないんですよ!ちょっと洗濯物が溜まっているなという状況も、ガッと消化できる。それだけでも、めちゃくちゃ精神衛生上いいなと。夫婦どちらも働いているので、赤を出してでも子どもの前でニコニコできるようにしたいなって思いました。

──独身時代から、結婚したあと、出産したあとで、働きかたに対する意識は変わりましたか?

犬山:独身時代は、6年間母親の介護をするために仕事ができなかったこともあって、リバウンドでもっと仕事くれー!みたいなゾンビ状態でしたね。本当にエゴというか。

生き残りたい、仕事がなくなるのがとにかく怖い、っていう感覚もあったんですけど、結婚して、あ、助け合えるんだ、みたいな感覚が生まれました。

夫から「こいつの仕事恥ずかしい」って思われるようなことはやめようと思ったり、自分がちゃんとやりたい仕事とか、そういうポリシーを持って仕事しようって思ったり。

別に結婚しなくてもそう思っている方はたくさんいると思うし、それまでも仕事の楽しさは感じていたんですが、そういう変化はあったと思います。

──ちなみに、どういったきっかけで今のお仕事に?

犬山:中学生の頃からファッション誌がとにかく好きで、なかでもグラビアで見る夢のような世界観や背景、そこにマッチさせた洋服のコーディネート。あとは、パリコレに行って取材してる!みたいな雰囲気への憧れもあって。

夢とも思っていませんでしたが、友だちが編集者になる!って宣言したときに、目指していいものなんだって思ったんです。それで大学生のときに、仙台で好きだったフリーペーパーを手伝い始めました。

そこには宇宙体操を踊るって言って踊り出したりするような最高な人たちがいたんですけど、好きなことを調べて、取材して、それを印刷して世に出すっていう経験をさせてもらえました。今も温かい繋がりがありますよ。本当に恵まれたところに最初から入れたなって思いますね。

──それから編集者として東京へ?

犬山:母の病気もあったので、仙台の出版社に就職していましたが、1年半くらいで仕事を辞めて、そのまま仙台で介護をしていました。

1年ほどして、東京に住んでいた姉と留学していた弟が帰ってきて、姉と弟と3人で、かわりがわり息抜きをするっていうターンに入ったので、1ヶ月に20日間ほど介護をして、10日間は東京で羽をのばす、みたいなことをやっていたんです。

姉つながりで友だちがちょこちょこできたり、24歳くらいのときには彼氏もできたり。

──仙台と東京を行ったり来たり。

犬山:若くて刺激に飢えていたというのもあって、友だちのカップルがやっているお店で、内装が全部赤い壁で、鏡がバーと並び、鹿の首もバーっと並んでるような、デコラティブでバーレスクが似合うようなところでよく遊んでいました。椅子もヴィンテージでかっこよくて、そこに来る大人の会話が面白かった。

じつは、お酒がたくさん飲めるようになったのは28歳くらいからなんです。いつの間にかすごい飲めるようになっちゃった。ワクワクする空間がとても好きだったから、自然に。

──刺激が強そうです。

犬山:そこにいた女の人たちがとにかく自由だったんですよ。自分が好きなファッションを着ると、基本浮くんですよね。でも、そこではどんな格好をしても浮かない。それが私の中で大きくって。

とんでもないコルセットつけている人がいたり。頭にエビが乗っていたり。「どういうこと?」って聞くと「めでたいでしょう?」って返ってくる。自由な大人が多かったんですよ。

介護って、1対1で向き合う作業だったりするので、そこからパーンって解放されるところに飢えていたのかもしれません。介護しながら仕事もしたいと考えていて、自分がやりたい仕事じゃないと多分続かないから、漫画家を目指したり、そういう生活をしていました。

──“女性観察の名手”と呼ばれるまでになった観察眼はそこで養われた?

犬山:私は特別観察眼があるなんてまったく思ってないです!みんな同じくらい持ってるんですよ。それを言うか言わないかだけの違いだと思うんです。だって普通に飲み会とかで隣の女の子が話している会話を聞いて、あーそうだよねって、けっこう感心することがあったりするじゃないですか。

私自身は結構受け身。編集者気質というか、そういう面白いものを引っ張ってきて、まとめて出すみたいな感じ。人より飲み歩いていたからストックができたってことだと思います。でも、飲み歩いたお金はめちゃくちゃいい使い方をしたなと思ってます。

──今のお仕事にも役立っている。

犬山:スナックにもよく行っていたのですが、それはそこにいるママが大好きで、そこに集う人もママが好きな人たちで。だから、お客さんも年齢関係なく、信頼できる人生の先輩も多くて。

ボトルを入れるってことも経験してみると、いつもこの場を守ってくれてありがとねっていう感謝の気持ちなんだってわかるんですよね。その頃は周りにボトルを入れている女性を見たことがなかったから、アラサーの女がボトル入れていいんだみたいなことを思ったんですけど。

そういうお金の使い方はあぶく銭に見えて、大切な人に使うお金。そういう場所で出会った仕事仲間も多いんです。

──得たものが多かったんですね。

犬山:女友だちがわっと増えました。もともと飲みに行く友だちってほとんどいなかったんです。私はあまりお酒を飲まなかったし、仙台は車文化なので、代行頼まなきゃいけないから飲むと凄くお金がかかる。

東京に出てきてから、女の子と飲むことが増えて、そこで話をどんどん聞くようになったんです。彼女たちが恋愛の話をしてくれたから、私はデビューできたと思っています。

自分で意識していたわけではないんですけど。多様性っていうのが自分の中のテーマだなってその前から思っていて。いろんな生き方があるぞっていうのを、この目で見たんですよね。それで、その人たちはとても楽しそうだぞ、と。

──意外でしたが、ギャルだった時代もあったとか。

犬山:17歳の頃までは斜に構えた女だったんですけど、クラスの女の子を見て、斜に構えた女とギャルどっちが楽しそうかなって考えたときに、これはどう考えてもギャルだな!と。当時、eggっていう雑誌が流行ってて、ゴングロとかの時代だったんですけど。

1回やってみないと彼女たちの価値観もわからないし、楽しさも理解できないなって思って、友だちに「ねえ、ギャルにならない?」って声をかけてなってみたんですよ。

人気ブランドのショップにはカリスマ店員がいて、そこに行くときに、なめられるから下の名前で呼び捨てにし合おうって、見よう見まねで雰囲気をマネしたり。肌を焼くことは抵抗があったので、とにかくケバくして。

──メイクを濃くして。

犬山:ひじきまつげが全盛の頃だったので(笑)。100円ショップで買った青いシャドウをグリグリ塗ったりして。すげー顔してましたね(笑)。

ギャルの中でもかっこいいギャルがいるわけですよ。それと比べたら底辺。なりきれてない、なんちゃってみたいな。

ということもあって、安全地帯からヤイヤイ言うっていうところから、一歩抜け出したターニングポイントだったかもしれません。

私もやっちゃいがちなんですが、バイアスはなるべく消していきたいっていう気持ちはあって。自分の知らない世界を想像でディスらないというか。「ギャルってこうだよね」みたいなのってよくないじゃないですか。

──現場を見ると、それがもっと理解できる。

犬山:私が遊びに行っていた場所には、女の幸せはこうだとか、こんなふうに生きなきゃいけないとか、そういう枠から出ても楽しそうな人が集まっていたし、いい生き方の方たちが沢山いたなあって。もちろん、社会の制度として課題があったり、ツラいこともあると思うんですけどね。

私自身、失敗もめっちゃしてるんです。バイアスがかかっていたり視野の狭さで偏見まみれの文章を書いたこともある。そういったものに対してはちゃんと悪かったって認めなきゃいけないし、反省して、これから書くものに生かしていかなきゃって、真面目に思っていて。

将来子どもに「お母さんなんでこんなの書いたの?」って言われた時に、「あの時お母さんバカだったんだよ!」って、ちゃんと言えるようになりたいですね。


一見、無鉄砲にも見える2人。ですが、様々な価値観を持つ人との出会いや、何にでも自ら飛び込んで行動することが、振り返ると「自己投資」となり、夢を現実にしたのではないでしょうか。

あなたはどんな「自己投資」をしたいと思いますか?誰かに相談したくなったときには、ぜひこの記事を読みかえしてみてください。

松井証券は人生をより豊かにするために「もっと良いこと」を探し、これまで金融業界や社会全体に対して問題提起をしながら、業界の慣習を打破するような仕組みを提示し、解決策を模索してきました。

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