「恋」と「匂い」の、関係性。
あの頃のはなしをします。
あらゆることを忘れてしまっても、「匂い」は忘れないといいます。
そのことをわたしは16歳の時に知ったので、17歳の春、とても好きな人ができたときに、香水をひとつ自分のために買いました。
それは、彼に「いい匂いだな」と思ってほしいとか、おなじ匂いに出会ったときに自分を思い出してほしいとか、そういうことではなくて。
とても好きな人ができたことが嬉しくて、いまこの瞬間の気持ちを、ずっと忘れないように、と思ってのことだったんです。
10年がすぎて。
当時、その人とかわした言葉やできごと、どんなささいなことでも忘れないように、書き留めていました。彼を好きな気持ちそのものを忘れてしまうことが、とてもかなしいことだと思っていました。
でも、忘れてしまうんです。
たくさんの時間がすぎて、あたらしい場所にたどりついて、またちがうだれかに出会って。思い出せないくらいに、忘れてしまうんですね。
忘れてしまっても、忘れないのは。
いまでもたまに、百貨店の香水売り場なんかの前を通るとき、ふと足をとめて、その瓶に鼻を近づけてみるんです。
不思議なのは、その香りに思い出すのが、そのときの気持ちだけではないこと。あの春の帰り道にあるいた大通りの喧騒とか、どうにも眠たかったあたたかい午後のこととか、あの頃に住んでいた家の玄関の扉をあける感覚とか。
だれかを「好き」な気持ちは、じつはいろんな要素の集合体であるということを、17歳のときに買ったひとつの香水をもって知りました。つかっている駅や電車も、時間帯も、季節も、そのすべてが集まったなかで、いつも恋をしているのだと思います。
いま、あの頃とはちがう香りのなかにいて、いつか、思い出すとき。わたしはなにを、「忘れずに」いられているのでしょうか。