好きになってくれないなら、好きになんかなりたくない。

 

──あぁ、もう嫌だ。

と思う。恋愛が終わるとき。

振るほうも振られるほうもそれなりに胸はえぐられるし、すっきりさっぱりー!なんて言葉にしたとしても表面だけ。

終わりを迎えた直後なんかに、“終わった実感”はやってこない。

その人と食べたもの、見た景色、遊んだ場所、よく聴いた曲

うっかり思い出になってしまっていた物に気づくとき、そして“いままでどおり”の反応が出来なくなったとき、ようやく実感する。

 

強くなきゃ、本質的に人を愛することなんか出来っこないって、昔どこかで聞いたけど、それは本当なのだと思う。

 

“終わりの実感”はいつでも苦しい。

その痛みを、簡単に他の人で埋めようとするのではなく、「裏切られた」と誰かを責めたり嫌ったりするのでもなく

胸の奥にある一番柔らかくて弱いところに押し込めて、ひとりで向き合う夜を、過ごせるかどうか。

弱くて情けない自分すらも、大事にできるかどうか。

 

中学生でも社会人でも、好きだった人との関係を断ち切る時は、同じように痛い。

 

痛いから、大人になるほど、私たちは『勝算のない恋愛』をしなくなる。

どこかで、この人は自分を好きになってくれるかも、この人となら付き合えるかも
そういう確率を軸に、好意の矢印を向けるようになる。

ハイリスクでノーリターンな、自分の心だけみっともないほど丸裸にさせられるような恋愛は、痛すぎることを知っているから。

 

ひたむきで防御を知らないまま好きになった人のことを、人生で一番、忘れられなかったりするから、ほんとうにタチが悪い。

 

それでも、失恋したって死にはしないし
友達に朝まで付き合ってもらって、尽きない苦い恋の話をして
心をギュウギュウ絞るような痛みを抱えながら髪とか切って、失恋を口実に数日国を出ちゃったりすれば

意外と、前より強くなれたりもするから。そのときには、もう少し魅力的な自分になれているはず。

 

色々怖いしぐだぐだ悩むけど、それでも恋愛することに、億劫でいる時間って勿体無いのだと思う。

計算したり、勝算見えるまで待ったりするのもいいけど、止まってる自分よりも、進むと決めた自分のほうが、好きになれるよね。