「愛」と「愛情」のちがい、とは?
数ヶ月前、ふとそんな疑問を抱いたんです。
でも、自分で考えてもまったくわからなくて、辞書で調べてもピンとこなかったので、「じゃあ、まわりの人生の先輩たちに聞いてみよう!」とスタートしたのが、連載企画『23歳。冬。「愛」と「愛情」の正体が知りたくて。』でした。
立場のちがうさまざまな人たちに、実体験にひもづいた「愛」と「愛情」のおはなしを聞いていくなかで、ふたつの正体がすこしずつはっきりしてきました。
タイトルに「冬」とありながら、なんだかぼーっとしているうちに春がやってきてしまって。遅ればせながらではあるのですが、わたしが見つけたいくつかの答えを紹介したいと思います。
01.
愛は、不特定多数の人に「与え」られるもの。
愛情は、特定の人にしか「注げ」ないもの。
02.
愛と愛情に、大きいも小さいもない。
03.
相手のいいところに惹かれるのは、好き。
いいところだけではなくて
ダメなところもを受け入れられたとき、
それは愛に変わる。
すべてを一緒に背負い合う覚悟ができたとき、
それは愛情に変わる。
04.
距離がストレスになるのは、愛。
どれだけ距離があろうと
つながっていられるのが、愛情。
05.
愛は、有償。愛情は、無償。
06.
愛は、かんたんになくなる。
愛情は、そうかんたんにはなくならない。
この答えをふまえて
たぶん、血縁は絶対にきれない関係で、そこに愛情が存在するのは当然、存在しないなんてありえない、とわたしは思います。
でも、他人同士だったふたりの間に生まれた愛を、育み、愛情に昇華させるのはとてつもなく難しいことだとも思うんです。
たえず愛のキャッチボールをしたり、いまのわたしが想像もつかないようなトラブルを、ふたりが同じエネルギーをかけて乗り越えたり、はたまた飛び上がりたくなるくらいにうれしい出来事をふたりが同じエネルギーをかけて成し遂げたり。かけがえのない共通の思い出がつみかさなったのちに、いつの間にか、愛じゃなくて愛情でつながっている関係になれていたりするのかな、って。
だとしたら、もともと他人だった相手と愛情でつながり、どちらか一方が死ぬまで人生を共にできたとしたら、それは、今世紀最大の大事件レベルですてきなハプニングなのでは!
そんなわけで『23歳、冬。「愛」と「愛情」の正体が知りたくて。』の連載は今日で終わりです。
取材に協力してくださったみなさま、そして、これまで記事を読んでくださったみなさま、とってもとってもありがとうございました!
ジ エンド。