ヨーロッパの常識を覆した歌手「サルヴァドール・ソブラル」国内初インタビュー

©Eduardo Martins/the Script Road

 

――日本のメディアであなたのインタビューが掲載されるのはこれが初めてだと思います。ぜひいろいろな話を聞かせてください。まずは、音楽を始めたきっかけから。

 

ぼくは物心がつく頃から歌っていたよ。

父は古美術商で、プロのミュージシャンではなかったけれど、音楽を生業としていないからこそ、音楽に対して真摯で、確固たる愛を持っている人だった。それは今も変わらない。ぼくに言わせれば、その辺のミュージシャンよりミュージシャンだ。

彼は、ザ・ビートルズの大ファンだったから、ぼくは赤ん坊の頃から「この歌詞を聞いてみて、これはこういう意味だよ」と教えられて育った。

子どもの頃は、よく車でポルトガル南部へ家族旅行に出かけたものだ。その車内では60年代の音楽がずっと流れていたのを覚えてる。

ザ・ビートルズ、ザ・ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、レナード・コーエン、ジェネシス、サイモン&ガーファンクル、ポルトガルの音楽なら、ルイ・ヴェローゾとかね。

片道5時間くらいのドライブの間、ぼくたち家族は車内で流れる曲に合わせて、担当するパートを分けて歌いながらハーモニーを奏でるんだ。強制されたんじゃない。ぼくや姉もそうして歌うことで、本当にくつろぐことができたんだ。

姉は12歳で作曲を始めた。ぼくはひたすら歌うのが好きだったな。

 

――姉のルイーザ・ソブラルさんも著名なミュージシャンです。影響は受けましたか?

 

ぼくと姉は、父の影響で子どもの頃からいつも一緒に歌っていたからね。

彼女は最良のアドバイスをくれる人。だから、彼女の言うことはいつも注意深く聞く。「音楽を愛しているなら音楽の勉強をするべき」と助言してくれたのも彼女だ。

スペインのマヨルカ島のバーやホテルで歌っていたぼくは、その助言を受けたあとに、バルセロナで2年間音楽の勉強をすることにした。

 

――バルセロナではどんな経験を?

 

すばらしい経験だったよ。音楽理論を学んだことで、自分の好きだった曲がなぜそのメロディなのか、なぜその曲展開なのか、腑に落ちた。「ワオ!なるほど」の連続だった。

ぼくはマヨルカ島で年配のミュージシャン達と演奏してきた経験があったから、すでにさまざまなことを実践から学んでいた。例えば、演奏に興味のない客を振り向かせる方法、演奏曲の順番、あとは、ギャラの相場なんかもね。

世の中には、音楽を勉強してもそれを実践しない人がいる。あるいは、音楽を勉強していなくてもそれを実践できるという人もいる。ぼくは勉強も実践も同じくらい大切だと思う。

 

――その後、ポルトガルの首都リスボンの名門ジャズ・クラブ、ホット・クルービ・デ・ポルトガル付属のジャズスクールで、さらに音楽を学んでいますね。

 

バルセロナから戻って1年間ピアノジャズを専攻した。本当はアムステルダム音楽院への入学が決まっていたんだけど、健康上の理由で断念せざるを得なかった。心臓が悪くてね。

リスボンではずっと憂鬱な気分でふさぎこんでいたから、クラスにもあまり行けなかった。プレイヤーとして、ホット・クルービで開催される自由参加のジャムセッションには毎週参加していたけどね。ずっと、ホット・クルービでライブをやりたくてオファーをしていたけれど、残念ながらキュレーターはやらせてくれなかった。

現在のバンドメンバーでもあり、プロデューサーでもある、ピアニストのジュリオ・レゼンデと出会ったのは、その頃だ。

ジュリオはホット・クルービのジャムセッションナイトで『Body And Soul』か何かを演奏していて、お互い「良い演奏をするね!」と意気投合した。それから彼の家でセッションをするようになって、一緒に演奏するようになった。思えば、ポルトガルで惨めな気持ちだったぼくを救い出してくれたのは、彼だよ。

 

――今仰っていた60年代のポップミュージックやジャズからの影響のほかに、あなたは最も敬愛するミュージシャンとしてチェット・ベイカーの名前を挙げていましたよね。彼のどういった部分に魅力を感じますか?

 

チェット・ベイカーは、ぼくがジャズに興味を持ったきっかけだ。理由はふたつある。

ひとつ目は誠実さ。彼が演奏するときや歌っているときは、完全に本物で真実なんだ。ふたつ目は繊細さ。彼の音楽からは繊細さを感じずにはいられない。

ジャズを好きになったのは21歳の頃。マヨルカ島にいたときで、ジェイミー・カラムみたいなポップなジャズをよく歌っていたんだけど、バンドメンバーに「君はチェット・ベイカーを聴くべきだ」と勧められた。驚いたよ。すぐに彼の曲のトランペットパートと歌詞を全部記憶した。

それからマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ケニー・バレル、デクスター・ゴードン、アーマッド・ジャマル、オスカー・ピーターソン、ビリー・ホリディ、カエターノ・ヴェローゾなんかを聴くようになった。最近だと、シルビア・ペレス・クルスも好きだね。

 

――音楽以外で、あなたが影響を受けたものはありますか?

 

語学だね。最近も1ヵ月、スウェーデンでスウェーデン語の勉強をしていたんだ。それに文学や詩も好きだよ。オノレ・ド・バルザックやジョゼ・サラマーゴ、若手のポルトガル人作家のヴァルテル・ヒューゴ・マエなんかを愛読している。

あとは映画。技術的なことは抜きに、美しい構図や美しいダイアログ(対話)を楽しむのが好きだ。とくに、ヴィム・ヴェンダースとイングマール・ベルイマンは最高の監督だと思う。

今年の3月に発表したセカンドアルバム『Paris, Lisboa』のプレミアをリスボンの小さな映画館でやることにしたのも、映画が好きだから。

 

――セカンドアルバムは、待望の新作でした。

 

じつは、2018年2月くらいから構想を練りはじめていたんだ。ぼくらはライブバンドだから、レコーディングは順調そのものだったよ。

スタジオが好きなミュージシャンも多いけれど、ぼくは4枚の壁に囲まれた狭い空間で歌うよりは、ライブで歌うほうが好きなんだ。アルバムを作る上でもライブっぽく聞こえるように気をつけていた。絶対にそんままにはならないんだけどね。

個人的にアルバム制作をするのは、インダストリーが必要としているから。 作らなくてもいいなら、ひたすら世界中でライブをやってるだろうね(笑)。

 

――2017年5月にユーロヴィジョン・ソング・コンテストで優勝した後、12月には心臓移植手術を受けていますよね。それから約1年でアルバムを発表。 実際はかなりハードだったのでは?

 

2017年はとってもリラックスした1年だった……なんてね。クレイジーだったというのが本音だ。

2017年の年末にいろいろな人から「来年の抱負は?」と聞かれたけれど、「退屈で平凡な年がいいよ……」と答えたくらい。本当にローラーコースターに乗っているような年だった。

ユーロヴィジョンでの優勝は、今となっては素晴らしいことだったと思えるけれど、闘病中のゴシップ報道やパパラッチには本当に辟易していた(※)。入院中、見知らぬ人が病室に入ってきたこともあった。

※この時期、サルヴァドール・ソブラルは持病の悪化で仕事を断っていたが、一部では「優勝したことでお高くとまっている」という誹謗中傷があった。

心臓の移植手術が成功したことで、落ち着いて「オーケー、ぼくは生還した。これで未来のことを考えることができる」と思えるようになった。まだ手の震えは残っていたけれど、新しいアルバムのアイデアをメモしたり、作曲家に連絡をしたりをはじめた。バンドはファーストアルバムと同じメンバーでやると決めていた。ジャンルレスにジャズもシャンソンもラテングルーヴも演奏できる、すでにスタイルがある、ぼくのバンドだ。

優勝直後に、成功によるネガティヴな側面を体験し尽くして、今はポジティヴな側面を享受してると思う。こうして世界中を演奏してまわれるしね。

 

――2018年のユーロヴィジョンでは、前年度の優勝者パフォーマンスの場でカエターノ・ヴェローゾとの共演も実現しました。そのときの感想は?

 

誰だったか「自分のアイドルには会うな」と言った人がいたよね。でも、彼は本当にスウィートな人で、あれだけの音楽的な業績があるのにとても謙虚だ。初めて会ったときも、ギターを持ってきて「じゃあ、始めようか」って。

ぼくの音楽を気に入ってくれていて、敬意を持って接してくれたことを誇りに思った。本当にハッピーな人でね、ぼくは喋りすぎちゃうから、もしかしたら彼は家に帰って泣いてたかもしれないけど(笑)。リスボンでは母が経営しているレストランにも一緒に行った。本当に最高の経験だったな。

 

――ブラジル音楽も好きなんですね。

 

好きなブラジルのミュージシャンは本当にたくさんいるよ。シコ・セザール、ジョアン・ジルベルト、エリス・レジーナ、マリア・ヒタ、マルセロ・カメーロ、チン・ベルナルデス……。

ちなみに、カエターノにチン・ベルナルデスを教えたのはぼくなんだよ。すごくいいから聴いた方がいいよって教えたら、彼が最近ブラジルの新聞記事コラムに「サルヴァドールに教えてもらったチン・ベルナルデス、すごく美しい音楽だ!」って書いたんだ。

カエターノが気に入るブラジルの音楽をぼくが教えちゃったんだ!本当にうれしかったよ。

 

――あなたは今やポルトガル音楽を代表するアーティストの一人で、世界中でコンサートを行っています。これまでポルトガル音楽と言えば民謡のファドでしたが、「ポルトガルはファドだけじゃない」と多くの人が認識し始めているのではないでしょうか。今のポルトガルのシーンやおすすめのアーティストについて教えてください。

 

ファド以外でポルトガルの音楽が成功したのって、本当に最近のことだと思う。君の言う通り、世界中の人々がその魅力に気づき始めていると思うよ。とはいえ、どんなポルトガルのミュージシャンも、潜在意識下にファドの影響は絶対にあるから、誰もその影響から完全に逃れることはできないけどね。

今ポルトガルでは、経済、アート、カルチャーといろいろなものが息を吹き返してきている。本当に才能がある人は多い。この間ストックホルムに行った時も思ったんだ。ポルトガルも負けてないじゃん!って。都市の規模のわりに、たくさんのコンサートやセッションが開催されていて、音楽シーンは成長していると思う。

もしもポルトガルに来ることがあれば、ファブリカ・ブラソ・デ・プラタ(Fábrica Braço de Prata)にはぜひ行ってみてほしい。ぼくにとってホームのような場所だ。ホット・クルービ(Hot Clube de Portugal)や、テージョ・バー(Tejo Bar)もおすすめだよ。

ポルトガルには素晴らしいアーティストがたくさんいるから、絞って紹介するのは難しいけれど、 ベー・ファシャーダ、ルイーザ・ソブラル、アントニオ・ザンブージョ、アンドレ・ロジーニャ……どうしようかな。これは日本の人たちが読むんだから大事だよね……うーん、ジャネイロも!

 

――ありがとうございました!

 

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。