「任天堂」から「Nintendo」へ。世界進出した日本企業の「はじめの一歩」

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

「任天堂」が設立された日

自動車、エンタメ、機械やテクノロジー。日本が世界に誇る企業やブランドは数多ありますが、なかでもミレニアルズやZ世代に馴染み深い会社といえば、真っ先にココを思い浮かべる人は多いはず。

そう、「Swich」や「DS」、そしてあの「マリオ」で有名な「任天堂」です。

75年前(1947年)の今日11月20日は、そんなメイドインジャパン企業が設立された日です。

この会社、1889年に創業者・山下房次郎が“とある遊具”の製造を開始したのがはじまりなのですが、何かわかりますか?

「ファミ......コン?」。

いや、アメリカで自動でレコードをかけてくれるジュークボックスが最先端だった時代に、そんなはずないでしょ(笑)

“とある玩具”とは、なんと「花札」。「猪鹿蝶」や「赤短/青短」、「花見で一杯/月見で一杯」の、あのトラディショナルなカードゲームです。

その歴史は安土桃山時代にまで遡るとされ、現在親しまれている絵柄やルールになったのは江戸時代の中期。プレイヤーの度胸や運が勝敗を大きく左右することから、気っ風(きっぷ)のいい江戸っ子たちの間で親しまれ、また、賭博の道具として使用されることが多かったため明治初期(〜1886年)まで製造や販売が禁止されていた“大人の遊具”だったのだとか。

そんな花札の製造、販売で財を成し、その後、トランプをはじめとしたカードゲームで玩具事業を本格化。80年代には「ゲームウォッチ」で一斉を風靡し、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」でテレビゲーム市場を席巻した「任天堂」。

アナログからデジタルまで、子どもから大人まで。いつの世も“楽しさ”をリードしてきたNintendoは、来たるべきメタバースの時代に、どんな風景を見せてくれるのでしょうか。

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