漁師の経験と勘に「科学的検知」が挑む!

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

魚群探知機の日

20世紀最後のニッポン。先の大戦に敗れ焼け野原からの再出発となったこの国は、戦後たった20年で世界第2位の経済大国へと大復興を遂げたことは、誰もが知るところ。

そしてその背景には、世界初の高速鉄道・新幹線をはじめ、電化製品、インスタントラーメン、マンガ・アニメなど、復興を支えた数々のイノベーションが存在します。

今日ご紹介する「魚群探知機」もそのひとつ。

その昔、海の中の様子を知るためには、軍事用ソナーなど、トランスデューサー(送受波器)から発信された超音波を海底や川底に反射させ、戻って来る時間を計測する「音響測深機」が用いられてきました。永久的な水深記録を残すため、紙のロールに針でマークする、ひと昔前の心電図のようなあの方法です。

その原理を応用し、海軍の放出物にあった音響測深機を使って魚群探知機の開発に挑んだのが長崎県口之津町(現在の南島原市)で船舶の電気工事などを請け負っていた「古野電気商会」。

創業者の古野清孝は、弟清賢とともに「漁業を近代化したい」という思いを胸に、世界で初めて魚群探知機の実用化に成功。1948年のことでした。

魚群探知機にいたる着想は、清孝と一人の船頭の出会いから始まります。船上で電気工事をしていた清孝は、あるとき「海面に泡の出ているところには、魚がたくさんいる」という話を聞きます。

たしかに魚がたくさん獲れる。が、船頭のいう「泡の出るところ」を科学的に特定することこそ漁業の発展につながると確信した清孝。超音波理論を応用することで魚を探す手法の探索に着手しました。

そうして1948年12月、魚群探知機の販売を本格的にスタート。当時の価格で1台およそ60万円だったそうですが、すでにこの段階で魚種や魚群の大小を識別できるほどにまで性能は向上していたというから驚きです。

ところが……。

長年、自分の勘を頼りに海と対峙してきた漁師たち。それが機械で代替できるとあれば、仕事がなくなってしまうのではないかという危惧から、なかなか受け入れられませんでした。また、導入した漁師たちもうまく機器を使えずに、兄弟の元には返品の山ができたといいます。

それでも、50年代を迎える頃には広く浸透するようになり、今日の漁業における必要不可欠なツールとなるわけです。

漁師の経験と勘に依存していた漁業からの脱却。科学的検知の導入。魚群探知機が水産業全体に与えたインパクトは決して小さなものではなかったはず。

日本が誇る戦後のイノベーションのご紹介でした。

Top image: © iStock.com/pixinoo
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