17年間、1日も休むことなく試合に出続けた「鉄人」。

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

衣笠祥雄が連続試合出場で世界記録を更新

メジャーリーグで活躍を続ける二刀流といえば、ご存知大谷翔平選手。その少し前にメジャーで記録を打ち立ててきたイチローは安打製造機。さらにさらに前にはドクターKの愛称で親しまれた野茂英雄がいます。

メジャーに行ったこれらの選手に限らずプロ野球の世界で大活躍する選手には、異名やニックネームがつけられることがありますよね。こうした愛称のなかでも「鉄人」と讃えられる選手たちがいます。正確に言えば、いました。

この鉄人たちに共通した特性、それは誰よりも遠くまで打球を飛ばす能力でも、誰よりも速い球を投げる能力でもありません。一年を通して怪我なくプレーを続け、成績を残し、チームに必要とされる選手であり、そして連続して試合に出場し続けることができる選手。「鉄人」それは、はいわば一流選手の証でもあります。

さて、前置きが長くなりましたが、今日は元祖鉄人こと故・衣笠祥雄が公式戦連続出場で世界記録を樹立した日であります。

オールドファンには懐かしい響き。Z世代の方々は「誰それ?」と思われるかもしれませんが、今朝はしばしお付き合いくださいませ。

衣笠祥雄——。

1970〜80年代にかけて広島東洋カープの主軸として、黄金時代を牽引した元プロ野球選手です。豪快なバッティングが持ち味で、通算507本の本塁打は歴代7位の大記録も、通算1587三振(歴代10位)とつねにフルスイングで打席に臨む、なんとも味のある選手でした。

けれど、衣笠の姿にファンが魅了されるのは、その豪快なスイングだけではありませんでした。1965年カープに入団した衣笠が一塁手として1軍に定着したのは68年のこと。しばらくは控えに回ることもありましたが、徐々に成績も安定してきた1970年。シーズン終盤の10月19日から、前人未到の大記録はスタートしました。

そう、連続試合出場です。

引退する1987年までのじつに17年間、公式戦全試合に出場した衣笠。そして1987年6月13日、1日も休むことなく積み重ねた出場数は2131試合に。この日、連続出場の世界記録を持っていたニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリックを抜き、金字塔を打ち立てたのです。

途方もない数字ですよね。

けれど、連続試合出場は衣笠にとって怪我とスランプとの戦いでもありました。デッドボールの数も群を抜いて多い選手。並の選手なら致命傷を負いかねない死球にも、持ち前の運動神経でそれをかわし、大事に至る怪我を避けてきました。

それでも不振に陥り記録が落ちれば、ファンから罵声を浴びせられ、マスコミも「記録更新のための出場」と揶揄。将来性のある若手の出場機会を減らしているのではないかと自問して苦しむこともあったようです。

そんななか1979年8月1日、読売ジャイアンツとの一戦で衣笠は、連続試合出場最大の危機に直面します。

7回裏バッターボックスに立つ衣笠の左肩に速球が直撃。その場に倒れ込んだ衣笠はタンカで病院へ運ばれました。診断の結果は左肩甲骨亀裂骨折。全治2週間は必要で医師は翌日の試合に出るのは不可能と、衣笠や当時監督だった古葉竹識を諭します。

ところが翌日、衣笠は代打ながら試合に出場。スタンドからの万雷の拍手に迎えられバッターボックスにたった衣笠。結果は三球三振。それでも、見逃しひとつない持ち前の豪快なフルスイングをファンの前で見せたのです。

最終的に現役引退までに2215試合連続出場まで記録を伸ばした鉄人は、後日、自身の野球人生を振り返り、こんな言葉を残しました。

自分でできることを、自分なりに一生懸命やってきた。ただそれだけですよ。野球が大好きでした。こんな好きなことを1日たりとも休めますか。

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