「運命」は与えられるもの?偉大な音楽家・ベートーヴェンの答え

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

ベートーヴェンが亡くなった日

1770年に生まれ、今から2年前(2020年)、生誕250周年を祝うイベントの開催やトリビュートアルバムのリリースなどで注目を集めた、ドイツの作曲家にしてピアニスト、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。

オルゴールの定番曲『エリーゼのために』や、年末の風物詩ともいえる“第九(だいく)”こと『歓喜の歌(交響曲第9番 第4楽章)』、そして第一小節の一音目から圧倒的なインパクトを聴くものに刻み込む『運命』など、クラシックファンならずともメロディを口ずさめる数々の名曲を生み出したベートーヴェンは、その偉大さから“楽聖”と称えられ、のちの音楽やシーンに大きな影響を与えました。

195年前(1827年)の今日3月26日は、そんなベートーヴェンが亡くなった日です。

生前から天才の名をほしいままにしていたベートーヴェンですが、その人生はじつに波乱に満ちたものでした。

宮廷の御用歌手だった父・ヨハンによって、3歳のころ、なかば強引にピアノを学ぶことになったベートーヴェン。その指導方法は、夜通しピアノのまえに座らせ、うまく弾くことができなかった日には食事を与えず、施錠した部屋に閉じ込めるなど、現代であれば問題視されるほどに過激なものだったといいます。

はじめて公の場で演奏したのは7歳のとき。しかし、世間の注目を集めるため、父は息子の年齢をサバ読みして6歳と紹介します。その後、ベートーヴェンは物心がつくまで自分の年齢を1歳若く誤認していたとの話も......。

10代〜20代と、ときの有名音楽家たちに師事。当時のシーンでは異例の若さともいえる30歳で「交響曲第1番」を完成、発表しますが、もともと抱えていた耳の不調が徐々に悪化し、40歳中盤にはほぼ完全に聴力を失ったといいます。

音楽家にとっての生命線ともいえる耳に圧倒的なハンディキャップを背負うこととなったベートーヴェンですが、その創作意欲、そして非凡な才能が衰えることはなく、当時、不治の病のひとつに数えられていた肺炎にその体をむしばまれながらも、なんと亡くなる8日前にドイツのフィルハーモニー協会に新曲の提供を申し出るなど、音楽にかける情熱は“執念”ともとれるほどのものでした。

そんなベートーヴェンですが、当時、多くの音楽家が宮廷などに雇われて活動しているお抱えであったのに対して、生涯にわたってフリーランスで生計を立てた“史上初のフリーの音楽家”との説も。

はじまりはどうであれ、困難や苦難を乗り越えて、自らの人生と未来は自分の手で作り出す──。“運命”とは、決して誰かから与えられるものではないのです、きっと。

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