天国か、地獄か......選手の運命を決める「たった一枚のクジ」

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

日本のプロ野球で「ドラフト会議」が初開催された日

毎年10月〜11月に実施され、日本中の野球ファンの話題をかっさらう「ドラフト会議」、正式名称「新人選手選択会議」。

球団や選手が「交渉権獲得」と印字された一枚の“くじ”の行方に一喜一憂する様は、野球好きにとっては秋の風物詩ともいえる存在です。

今日11月17日は、そんなドラフト会議が日本ではじめて開催された日です。

56年前の1965年、当時の西武ライオンズの社長の提案によって実施されることになったドラフト会議ですが、参考にしているのは、当然のことながら世界のプロ野球界の頂点であり、シーンをリードするメジャーリーグ(MLB)......ではなく、じつはアメフトのトップリーグである「NFL(ナショナルフットボールリーグ)」で採用されていたシステム。

ゲーム性を高めるために各チームの戦力を均衡化し、資本力の大小によって能力の高い選手が特定のチームに集結しないように設計されたドラフト会議ですが、1920年に創設されたNFLが1936年に採用しているにもかかわらず、そのはるか51年前にあたる1869年に組織されたMLBでドラフト制度が採用されたのは、おどろくなかれ......なんと日本がそのシステムを導入したのと同年なのだとか。

ちなみに、2021年の「プレイヤー・オブ・ザ・イヤー」「ヒストリック・アチーブメント」など大リーグにおける数々のビッグタイトルを獲得し、一部報道では、打者、投手としてだけでなく、外野手としての試合出場も視野に入れた“三刀流”という前人未到の新境地に挑むとされる、ロサンゼルス・エンゼルス所属の大谷翔平選手には、ドラフトにまつわる、こんな過去が......。

2012年のNPB(日本野球機構)のドラフト会議で「北海道日本ハムファイターズ」が大谷選手との交渉権を獲得。しかし、大谷は挨拶のために訪れた球団関係者と面会することはありませんでした。その後、複数回にわたる球団との交渉により同チームへの参加を決断するのですが、彼がファイターズ入団に踏み切れなかった理由。それは──米メジャーリーグへの憧れ。

大谷翔平、当時、18歳。名将・栗山英樹監督の誘いにもなかなか首を縦に振らなかった彼ではありましたが、入団翌年の3月に開催されたシーズン開幕戦で二安打一打点を記録し、早速その怪物ぶりを発揮してファンの注目を集めます。

そして、2017年、アメリカにわたった大谷選手の、その後の活躍はみなさんご存知の通り。

メジャーリーガーたちの投票により選ばれ、“大リーグにおけるもっとも偉大な賞”とも称される「プレイヤーズ・チョイス・アワード」で「年間最優秀選手賞」と「ア・リーグ最優秀野手賞」の二冠を獲得したShohei Ohtaniは、世界最高峰の舞台で頂点に立ったのでした。

自らの可能性を信じ続ける──。

決して簡単なことではないかもしれませんが、ニュースやSNSで大谷選手の活躍を見かけたら、そのことを思い出してください。今日からの“生き方”に、何かしらの変化が生まれるかもしれません。

Top image: © iStock.com/RBFried
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