はじめまして!ジョージやで。
ニュージーランド出身、魂の一方では詩人で絵本作家、もう一方では経済分析者で経営学修士学生。またモデルであり、大の音楽愛好家でもあり、フランクな関西弁と中国語を話すマルチリンガルでもある。
まさに七色に光るような個性を持つジョージ・ネルソンは、僕の人生の中でも運命的のように巡り合った数少ない友人だ。
初めてジョージを見かけたのは、「代官山UNIT」で開かれたテクノミュージックのイベントで、ストロボライトに照らされながら、踊っていた彼の姿。
そのときは直接話す機会はなかったのだが、後日友人の家に行く前に荻窪駅前のスーパーマーケット立ち寄ると、偶然にもまたトレードマークの青いジャケットを着たジョージがいた──。
思いきって話してみると、共通点がとても多い!
僕もジョージも好きな音楽のジャンルが同じだったり、台湾に留学していた経験があったり、僕たちはすっかり意気投合し、彼がニュージランドに帰った後も、チャットを通じてよく連絡を取り合っていた。
そんなジョージがコロナ禍を経て、再び東京に戻ってきた。
ということで、今回は久しぶりに丸の内線路沿いの公園で落ち合い、新しい生活のコトを聞いてみた。
1994年、ニュージーランド・ネピア生まれ。ヴィクトリア大学ウェリントン経済学科卒業。2015年、初東京移住、日本語の詩とイラストを始める。2017年、初自費出版「ジョージの俳句集」TOKYO ART BOOK FAIRデビュー。2019年、ALBUS ギャラリー福岡にて初個展「ハッピーハカタ俳句ジョージ」。「ザーテクノキウイ・THE TECHNO KIWI」魂からの絵本ラウンチ。コロナ時期ニュージーで待ち、2022年大学院生として早稲田大学ビジネススクール入学、日本生活再始動。座右の銘は「とりあえずおどる」。
——どう、最近は元気?忙しそうだけど。
元気だよめっちゃ!まぁ、色々なことでバタバタはしているんだけど、いいこと!おどっているし!
——今って大学院の春休みだよね?
うん。休みになって、クラスメートとたこ焼きパーティーしてから、時間はモデルとアーティストの方に使ってるかな。
そこから2月は次のブックフェアみたいなイベント目指してて、広島にあったやつ!そのための準備とか、印刷屋さんとリソグラフのコラボ作品を作ってた。
あとは、最近、自費出版した『自分史(まじめにかいたよ!)』の第二版もできあがった!
——それは、おめでとう!僕買おうとしたら、確かもう売り切れてたんだよね。
そうだったよね(笑)ほんまに嬉しいこと。
第二版はね、ほぼ同じなんやけど、インクもっと可愛くして、ミシンで綴じてイラストも入れた。元よりもっと良い作品になった気がする!
——コロナの時はニュージランドに戻ってたと思うんだけど、久しぶりの日本はどう?何か変わった?
日本はね、いい感じの日本のまま!今はまたオープンになってくれて、昔のようにまたテクノパーティー行ったり。東京の居酒屋、東京の味もね、いつも通りのうまい感じ。
変わったことね、電子マネーが増えたの(笑)。あれ大好きなんだよね、お支払い時のペイペイのアニメっぽい声。「ペイペイ〜!」
——ジョージは、もう既に日本のいろんなところ行ってるよね。最初に来た時はどこにいたんだっけ?
そうだよね、一番最初来た時は7年前で、東京に一年間留学!
そこから日本に色々ハマっちゃって、俳句を詠み始めて、何回も戻っている。コロナの前の時は、ワーホリで北海道にも住んだし、福岡も。一旦糸島のおしゃれな家で庭師にもなりました(笑)
——そっか。あれ、なんでジョージって関西弁話すんだっけ?
それは、元カノが大阪人だったから、うつっちゃった(笑)
このあいだ、“エセ関西弁”って言われたんだけど、ちゃうと思う!だって日本の地元ないよ僕(笑)学んでる言葉を使ってるだけ。
それに性格的には合ってるし、自然に出ちゃう!
——コロナ禍で、ニュージーランドに住んでた時はどんな生活してたの?
その時は、まあ僕は普通の社員で、経済分析者の仕事してたんだけど、ニュージーランドのロックダウンって凄くちゃんとしていた。
その時はハウスメイト4人と猫とみんなでハウス生活してた。個人的には全然好きだったね。なんか出かけられないから、忙しいライフにはない余裕があった。部屋で絵を描いたり、DJミキサーで遊んでたし、クッキングにハマった。今は、麻婆豆腐と牛うどんが専門なんだよ。
——ちなみに、昔のジョージってどんな子どもだった?
何してたんだろう……。僕は結構グッドボーイで、勉強好きな子どもジョージさんでした。
お母さんがよく図書館に連れて行ってくれた。そうだね、僕結構肌白いから、そんなスポーツとかしたら日焼けしちゃうから(笑)
あと、昔からパーティーが好きで、僕の誕生日パーティーは毎年友だちが期待してた。子どもの時はドレスアップパーティとかー。一番好きだったのは、パイレーツのドレス(笑)
——たしか、ジョージのお姉ちゃんもいろんな国の言葉を話せるんだよね?
そうそう。一つ上のお姉ちゃん、ルーシーっていうんだけど。彼女もフランス語とスペイン語を話せる。
——それは凄いね!
ね。お姉ちゃんは結構ロールモデルだった。
まずお姉ちゃんが、高校の時にフランス語を勉強して、ずっとフランスで留学しようとしてて、やっぱり「僕もどこか行きたい!」となってた。
それから、行き先を日本にして、言語の勉強始まって、ルーシーちゃん、ちょっと怒ってたよ(笑)
「言語は私の専門だからさ、なんで私の得意なところを目指しちゃうのー!」って(笑)
——その気持ちは分かる(笑)
あるよね。でも今は二人ともプラウドで、2人がBack-to-Back(2人で協力)したら世界中の結構たくさんの人と話すことができる。
——ちょっと変わるんだけど。ジョージの思い出に残ってる日本の地方はどこ?
いっぱいあるよ!地方行くと、空気がフレッシュ、色が綺麗、優しい人に恵まれる。
最近で言うと、このあいだ行ってきた河口湖がめっちゃ気に入った。観光地なんだけど、あそこのね、素敵なゲストハウス「Kagelow」というところで泊まった。
湖を走って、たくさん書いて、毎日富士山のパワーをいただいた。地元の友達も奇跡的にできて、超ローカル焼き鳥屋さんで人生の今まで一番うまいつくねを食べた。旅マジックだ!
——ジョージはどこに行ってもノート持ってるよね!あれって何冊目なんだろう?
そうそう、ネタ帳持ってる。これはねー、今多分52冊目くらい!
——そんなにあるんだ!
うん。7年前に日本に来たときから持ってる。一番最初に俳句を書き始めたのと、同じ時期。
これはね、僕的に凄い大事なもの。
——俳句っていっつも、どういう時に思い浮かぶの?
それね、頭がぐるっとしていることから、意味あることが思いついたらすぐ書く。だから、書くタイミングが不安定だけどネタ帳をどこに行っても持っていってる。
いつが多いんだろう。走っている時とか、電車とか、つまらない授業の中とか、あとは時々、寝る前にワインを飲みながら書く時もあるかな(笑)ろうそくの横で(笑)
どう見えるかは分からないけど、クラブのダンスフロアも多いよ!
——座右の銘「とりあえずおどる」のことも聞きたいな。いつ思いついたんだっけ?
そうだね。座右の銘は「とりあえずおどる」で、5年前に決めてからこれは一生の座右の銘。
これは山の上のディープテクノパーティで思い浮かんだんだけど、その時は1人で行ってて、どうしようかなって思ったときに、筆と半紙にその場で書いた(笑)
意味ある座右の銘を見つけたと気づいたら、Tシャツにもしちゃって、これでみんなと踊ってる。この言葉はね、パーティーっぽいと思うけど意外と深いかもしれない。なんともならない時に、とりあえずおどろう!
——最後の質問!今年はどんなことチャレンジしたい?
今年はね、言葉とイラストで僕の世界をもっともっと広げたい!毎日、ペンが踊っているようにいこうと。
あとは、『ザ・テクノキウイ』って僕の心からの絵本が一つあるんだけど、日本語版も中国語版も作っちゃったの。それを持って、台湾でその本の展示会をするのが今年のゴールの1つ。そこから香港、マレーシア、世界中なんじゃない!
ということで……俳句ジョージのフィーリングを少しだけでも掴んでもらえたでしょうか……?
ジョージには、今月から「TABI LABO」でコラムを寄稿してもらう予定。
本人にテーマを聞いてみると、俳句とイラストが基調になった優しさ溢れるエッセイになるとのこと。忙しない日々の癒しになってもらえるようなシリーズにしますので、連載をお楽しみに!
【連載】