呪いの人形アナベル「失踪」騒動:SNS時代の“噂”のメカニズム

2020年8月、世界を震撼させるニュースがSNSを瞬く間に駆け巡った。呪いの人形アナベルが、収蔵先の「ウォーレン・オカルト博物館」から逃げ出したらしい――

センセーショナルな情報は、瞬く間に恐怖と憶測の渦を巻き起こした。しかし、この「失踪劇」は、一体どこまでが真実だったのだろうか。そして、なぜ私たちはこれほどまでに「呪われた存在」の物語に強く惹きつけられるのか。

「アナベル逃亡」の衝撃
SNSデマ拡散から鎮静までの一部始終

発端は、ホラー映画『死霊館』ユニバースでその名を知られ、実在の「呪われた人形」として国際的な知名度を誇るアナベル人形が、米コネチカット州モンローにある「ウォーレン・オカルト博物館」から忽然と姿を消した、という衝撃的な噂だった。情報は特にSNS上で急速に拡散し、多くの人びとがパニックに近い反応を示したという。

しかし、この騒動は、ウォーレン夫妻の義理の息子であり、故Ed Warren氏と故Lorraine Warren氏夫妻が遺した「ウォーレン・オカルト博物館」の運営に関わるTony Spera氏によって、きっぱりと否定される。

騒動を紹介する「Independent」によれば、Spera氏はビデオメッセージを公開し、「アナベルは元気です。まあ、元気にここにいるべきではないけれど」とユーモアを交えつつ、人形が博物館内の定位置(厳重に封印されたガラスケースの中)に安全に保管されている事実を明言。「彼女はどこにも行っていません。旅行もしていなければ、ファーストクラスで飛んでもいないし、恋人に会いにいくこともありません」と、噂を一蹴。

@annabelle_tour #annabelle is not missing and was never in Chicago. if you want tickets for our #tour ♬ original sound - Annabelle world Tour
annabelle_tour / TikTok

この「ウォーレン・オカルト博物館」は、世界的に著名な心霊研究家であったウォーレン夫妻が、長年にわたる調査活動の中で収集した、数々のいわくつきの品々を収蔵する場所として知られる。

中でもアナベル人形は、もっとも恐ろしく、そして有名な展示物の一つ。映画『アナベル 死霊館の人形』(2014年公開)は、製作費約650万ドルという低予算ながら、全世界で約2億5700万ドル以上もの興行収入を叩き出し、大成功を収めた。さらに、「死霊館」ユニバース全体としては、累計興行収入が20億ドルを超えるメガヒットシリーズとなっているということからも、アナベルというキャラクターがいかに強力な文化的アイコンであるかがわかる。

なぜ噂は真実を超えた?
SNS時代の情報拡散と“未知への渇望”

では、一つの根も葉もない噂が、なぜこれほどまでに瞬時に、そして広範囲に拡散し、多くの人びとを巻き込む「現実」となってしまったのだろうか。そこには、現代社会における情報環境の特異性と、人間の根源的な心理が深く関わっていると考えられる。

第一に、SNSという情報伝達手段の特性だ。情報は、その真偽が十分に検証される間もなく、瞬時に国境を越えて伝播する。特に、「アナベル人形の逃亡」のような、人々の感情(恐怖、好奇心、驚き)を強く揺さぶるコンテンツは、反射的な「いいね!」や共有を誘発しやすい。

総務省が21年に公表した「令和3年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」では、日本において見たことのあるフェイクニュースのジャンルとして「スポーツ・芸能・文化に関すること」が43.0%と高い数値を示しており、エンターテインメント性の高い情報ほど拡散しやすい傾向がうかがえる。

また、MMD研究所が20年10月に発表した「フェイクニュースに関する調査」によれば、フェイクニュースを見たことがある人は72.7%にのぼり、そのうち内容を信じてしまった経験がある人は39.3%、さらに信じてしまった人のうち27.2%がSNSなどで拡散してしまった経験があると回答している。

アナベル人形のケースも、この数字が示すように、多くの人びとが情報の真偽を確かめるよりも先に、感情的な反応や話題性から拡散に加担してしまった結果といえるだろう。

第二に、私たち人間が本能的に抱える「未知なるものへの畏怖と好奇心」の存在。科学技術がどれほど進歩しても、説明のつかない現象や、理解を超えた存在に対する関心は尽きない。むしろ、合理性や論理性で割り切れない領域があるからこそ、人はそこに物語を求め、時にそれを現実以上にリアルなものとして感じてしまうのかもしれない。

特にアナベル人形のように、「実話に基づいている」とされる呪物や心霊現象は、フィクションの枠を超えた独特のリアリティと恐怖感をもって私たちに迫る。

近年のホラーコンテンツ市場の活況も、この心理を裏付けている。たとえば、「Business Research Insights」のレポートでは、世界のホラー映画市場規模は2024年の112億米ドルから、33年には195億3500万米ドルに達すると予測されており、年平均成長率(CAGR)7.2%での成長が見込まれている。

これは、人びとが恐怖という強烈な刺激を、安全なエンターテインメントとして積極的に消費していることの現れでもある。YouTubeやTikTokといったプラットフォームでは、怪談や都市伝説、心霊スポット探訪といったオカルト系コンテンツが人気を博し、新たな「呪い」の物語が日々生まれては消費されている。こうした背景が、アナベル人形の「失踪」という突拍子もない噂を、熱狂的に受け入れる土壌を醸成したとも考えられる。

虚構と現実のはざまで
恐怖を“エンタメ”として昇華する視点

Tony Spera氏は、前述のビデオメッセージの最後を「アナベルはここにいます。彼女はどこにも行っていません。心配しないでください。ありがとう」という言葉で締めくくった。このメッセージは、SNS上で燃え盛っていたパニックの火を消し去るには十分なものだった。しかし、この一連の騒動は、私たちにいくつかの重要な問いを投げかけている。

私たちは、日々浴びるように流れ込んでくる膨大な情報と、どう向き合っていくべきなのか。そして、人間の想像力が生み出す「恐怖」という感情と、エンターテインメントとしてのその消費を、どのように捉え、楽しんでいくべきなのだろう。

アナベル人形の「失踪」騒動は、その極端な一例ではあるが、SNS時代の情報リテラシーの重要性をあらためて浮き彫りにした。一つの情報に触れたとき、それがどこから発信されたものなのか、裏付けはあるのか、感情的な反応だけで拡散していないか――そうした冷静な視点を持つことは、デマやフェイクニュースに踊らされないための基本的な構え。

同時に、「呪い」や「都市伝説」といったオカルト的な物語は、人間の創造性や想像力を刺激し、日常にスリルや非日常的な興奮を与えてくれる魅力的なエンターテインメントであり続けるだろう。

ガラスケースの向こう側で、アナベル人形は今日も静かに「そこ」に在る。その変わらぬ存在自体が、もしかすると「逃げ出した」という刺激的な噂よりも、はるかに深く、私たち自身の心のありようを問いかけているのかもしれない。

Top image: © iStock.com / Cara Walton
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