知っておきたい「アニマルライツ」――世界の動きと日本の現在地

「動物が動物らしく生きる権利」とは何か──?アニマルライツの思想が世界で広がりを見せている。この考え方は、動物も人間から苦痛を受けることなく生きる権利があるという、単なる動物愛護を超えた根本的な権利問題。

アニマルライツと「アニマルウェルフェア」には明確な線引きがある。前者が動物利用そのものを否定する究極の思想であるのに対し、後者は動物の生活環境の改善を目指すアプローチ。日本のアニマルライツ認知度は、EUと比較して低水準にとどまっている。2023年国内調査では「動植物も人間同様に存在する権利がある」という意識が平均5.27点で最高値を示したものの、実践面ではまだ途上の状態と言わざるを得ない。

そもそも、アニマルライツ運動の転機となったのは、1975年ピーター・シンガーの著書『動物の解放』だと言われている。この思想は、性差別や人種差別に反対する社会運動の延長線上にあり、「種差別」という新たな視点から社会正義の重要課題として注目を集めている。

「物ではない」vs「物である」
各国で異なる動物の法的地位

動物の権利とは何か?哲学的には、「感覚を持つ動物は人間への有用性とは関係なく道徳的価値を持ち、基本的利益が人間同様に配慮されるべき」という考え方。これは人権の基盤となった自然権思想を動物へ拡張したものと言える。

動物権利論には、二つの主要アプローチがある。功利主義者ピーター・シンガーは「動物も苦痛を感じる能力に応じて人間と同等の配慮を受けるべき」とし、種の違いによる差別を「種差別」と批判した。いっぽう、義務論者トム・リーガンは「動物は固有の価値を持ち、その価値が尊重される権利がある」と主張している。

「殺されない権利」「傷つけられない権利」「自由を奪われない権利」——これらは「基本的動物権」として倫理学者たちに支持されている。この考えは「倫理判断の普遍化可能性」「遺伝的差異は差別理由にならない」「動物も人間同様に苦しむ」という前提から導かれたもの。

法律で定められていなくても道徳的に認められる権利があり、これが法的権利の指針となる 。欧州では動物の法的地位見直しが進み、ドイツでは1990年民法改正で「動物は物ではない」と規定。フランスも、2015年に「動物は感覚を備えた生命ある存在」と民法に明記した。

では、日本ではどうだろう?民法上は動物を「物」として扱ういっぽう、動物愛護管理法では「動物は命あるもの」と規定している。動物実験分野では「3R原則」(Reduction:削減、Refinement:改善、Replacement:代替)が採用されており、これは動物への一定の配慮を示すものだ。

動物権利の考え方は、動物が感覚や感情を持つ存在と認め、苦痛回避を基本としながらも、その実践方法はさまざま。しかし、各立場は「判断の一貫性」を重視し、苦しみを感じる存在への倫理的配慮の必要性では一致している。

哲学者たちの「動物権利論」対決
シンガーVSリーガン、相反する2つの思想

アニマルライツを支える哲学的基盤には、現代の2大思想が存在する。先のピーター・シンガーの功利主義とトム・リーガンの権利論。この対立する2つの思想が、動物の道徳的地位をめぐる議論を深化させてきた。

シンガーの主張はシンプルかつ挑戦的だ。「苦痛を感じる能力」こそが道徳的配慮の基準であり、種の違いだけで差別するのは種差別にあたるとするもの。彼が引用する哲学者ベンサムの以下の言葉が、本質を突いていると言えるだろう。

問題は理性や言語ではなく、苦痛を感じるかどうか」。

対するリーガンは、カント哲学を拡張し、「生の主体」という概念を提示する。カントが人格に限定した道徳的価値を、リーガンは「道徳行為ができる者」と「道徳行為を受ける者」の両方に認め、動物も尊重すべき存在だと論じた。「種差別」議論はすでに「勝利をおさめた議論」とシンガーとマッギンは評価。種差別を支持する筋の通った理論が存在しないことが、その証拠だという。

では、なぜペットは大切にするのに、食用動物は軽視するのか?社会心理学はこの矛盾した人間の態度に注目している。この複雑な心理は、動物との関係性における人間の本質的な矛盾を映し出していると言えるのかもしれない。哲学者ヌスバウムも「動物の能力」に着目し、新たな視点を提供。現代の動物権利論は、これら多様な哲学的視点に支えられ進化を続けているが、社会での理解はまだ不十分な状況と言わざるを得ない。

日本の畜産現場は、OECD最低ランク
動物権利運動が直面する現実の壁

動物権利運動が社会で直面する最大の壁は何か?その答えは、伝統文化との摩擦が各地で表面化している。三重県の上げ馬神事では動物愛護の観点から見直しを求める声が高まり、廃止署名には3万1000筆以上が集まったそうだ。

また、産業界からの反発も強烈だ。「利益が生まれ生活がかかっている」という主張は動物利用の正当化理由にならないという意見もあるが、産業構造の転換は一朝一夕には進まない。日本の畜産動物保護状況は、OECD加盟国中で最低ランクのG評価という衝撃の事実もある。

具体的な数字がその実態を物語る。牛と畜場の50.4%は牛に水を与えず、豚屠殺場の86.4%は豚に飲水させていないという数字も。養豚場約90%では「妊娠ストール」と呼ばれる檻が使用され 、酪農の70%が「つなぎ飼い」を実施。動物のストレスは計り知れない。

動物実験分野では3R原則が法律に盛り込まれているものの、実験動物には実験方法規制がほぼなく、行政の立ち入りや命令勧告からも除外されている現状だ。

ほかにも、認知度の低さも深刻な問題だろう。「NPO法人アニマルライツセンター」が2021年に実施したアンケート調査によると、「アニマルウェルフェア」という言葉を知る日本人はわずか5.8%、聞いたことがある人も10.5%のみという結果に。長野県内酪農家でさえ、認知度は40%にとどまったという。

それでも、わずかな希望の光も見えてきた。消費者の間で動物飼育・処理方法への関心が徐々に高まり、ESG投資の観点からも注目されつつある。企業の畜産動物への配慮が経営課題として認識され始めた今、変化の兆しは見えてきたのか……?

アニマルライツの本質とは何か?それは動物を単なる道具ではなく、固有の権利を持つ存在として捉える視点だ。シンガーの功利主義とリーガンの権利論という二つの哲学的アプローチが、この思想の核心を形成している。

では、日本社会の現実はどうなのか?アニマルライツとウェルフェアの認知度は依然として低く、欧米諸国と比較して明らかに遅れている。畜産業界の問題や動物実験の規制不足など、課題は山積みの状態だ。それでも、変化の兆しも見えてきている。消費者の意識変革が静かに進行し、ESG投資の文脈からも企業の畜産動物への配慮が経営課題として認識され始めているのだ。

アニマルライツ問題の本質は、単なる動物の扱いを超えた社会正義と倫理の問いかけにある。人間と動物の関係性を根本から再考し、「種差別」を超えた新たな共存モデルを模索することが、これからの社会的課題となるだろう。

伝統文化との調和、産業構造の転換には時間がかかる。しかし、動物も感覚を持ち苦痛を感じる存在だという科学的事実に基づき、より思いやりのある社会を構築することは、人間自身の倫理的成長にもつながるのではないだろうか。

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