ぼくの人生を変えたタクシードライバーの話
「Inc Magazine」や「Quora」など、海外メディアでトップライターとして活躍しているニコラス・コールは、ある男性に出会ったことがきっかけで、文筆業で生きていく決意をしたそうです。なんでも、その男性とは、毎日好きなことをして暮らしている人物だったのだとか。
ここで紹介するのは、彼がその時の記憶を遡って書いたもの。見ると勇気が出るんですよね。
タクシーに飛び乗り、ドライバーに行き先を伝えた。モデルとディナーに行くところだった。スマホを取り出しメールをチェックする。今スグ読まなきゃいけないものはないし、どれも既読だったが、習慣でリロードを続けてしまう。
「デート?」
と、インド人のドライバー。ウインカーを点灯させて左へ曲がっていく。
「まあね」
画面から視線をそらさずに答えた。ぼくは忙しい。
「何の仕事をしてるんだい?」
iPhoneのサイドボタンを押して顔を上げた。窓を開けて、バックミラーに映った顔を覗く。
「広告だよ」
「うわ!クソ忙しい業界だね」
つい笑ってしまった。
「そうかもね。あなたは? Uberは長いの?」
「いやいや。まだ何週間かだよ」
これまでの経験上、Uberに乗っている人間はただのドライバーじゃないことが多い。なんらかのビジネスオーナーだったり、トレーダー、投資家、リタイヤしたエグゼクティブってことも。
「ほかに何をしてるの?」
「ふたつ、ビジネスをしてるよ」
興味が湧いてきた。
「それって?」
「ひとつは家具屋、もうひとつはホットドッグスタンドだ」
ぼくは一瞬まつげを上げると、「おもしろいね」と答えた。会話はそこで終わりかけた。
「……いくつもビジネスを立ち上げたよ」
ぼくはiPhoneをもう一度オフった。正直、続きを聞きたいと思っているかどうか自分でもわからなかったけど。
「ほかにどんな?」
「なんでもだ!ビジネスが好きなんだ。例えば、家具屋。仕事は釣り人から始めた」
「釣り人?」
「そうだ。毎日、桟橋へ行っては釣りをしていた」
矛盾したスキルセットだ。いつの間にか引き込まれている自分がいることに気づく。何かある。
「ミシガン湖で釣ってたことはある?」
「ああ!釣れるときは大漁だし、釣れない時は釣れないね」
「毎日釣ってたわけじゃないでしょう?」
「毎日だよ。聞いてくれ……」
聞くことにした。
「もう随分前、初めてシカゴにやってきたときだ。仕事も金もなくて、それで魚を釣っていた。毎日桟橋に通っていた。好きでね。だから、来る日も来る日も釣りをしていた。
ある日、男が話しかけてきた。毎日そこに来ていたので、私のことを知っていたらしい。ソファーを移動するのを手伝って欲しいと頼まれた。OKしたよ。払いも良かったしね。そしたら、次の日にまた頼まれたんだ。今度はキャビネットを移動したいってさ。もちろん引き受けた。
次の週、その男が桟橋にやってきて、こう言ったんだ。
『キミを雇いたい』
『なんでですか?』
『キミはキャビネットを動かすのがうまい』
彼はシカゴの資産家だった。もっとキャビネットを運んだら、お金をたくさんくれると言った。
その後、私はすべての持ち物を売り払って、引っ越し用のトラックを買った。自分で引っ越し屋の会社を立ち上げたんだ。
そして、桟橋に行き、彼に仕事を手伝ってくれないかとお願いした。快諾してくれたよ。払いが良いからね。それで、一緒に会社を立ち上げることにした。毎日仕事が終わると桟橋へと向かい、釣りをしたよ」
窓から月を眺める。彼の話が信じられなかった。ぼくはまだまだキャリアが浅く、満たされない24歳だ。
「釣りは続けてるの?」
彼はいくつもの仕事を抱えていたらしいが、なぜ釣りをするような時間があったのだろう。ぼくには、自分の好きなことをする余裕なんてこれっぽっちもないのに。
「毎日だよ。お客さんは?釣りは好き?」
そのとき、ライティングのことを頭に思い浮かべた。2年前に思い描いていた理想と現実は、どれだけかけ離れているだろう。
ぼくは、大学でクリエイティブ・ライティングを学んでいた。ヒッピーみたいなロングヘアーで、スウェットを履いて、毎日、読みに1-2時間、書きに2-4時間。
今頃は、自分のライフワークとして書いた小説作品を元に、教鞭をふるっている予定だった。
「ああ、そうだね。釣りは好きだよ」
と、ライティングのことを考えながら答えた。彼は頷いていた。
「ここでいい?」
目的地に着いた。ぼくは、彼に聞いてみることにした。
「本当に釣りがしたくなったときって、どうすればいいの?」
彼は少し笑ってこう言った。
「夢は何だい?」
「ライターになりたいんだ」
「なら書かなきゃ!私には、釣りしない日なんてないよ」
空を指差す彼。
「雨の日も、晴れの日も、暑くても、憂鬱でも釣りをする。釣りをしなかったら、幸せじゃない。幸せじゃなかったら、人生はクソだ」
その視線はレーザービームみたいに鋭い。ぼくは話に夢中だった。
「ライターになりたいんでしょ?」
ぼくは頷いた。子どもみたいに。
「なら書かなきゃ。書いて、書いて、書きまくる。誰にも邪魔させるな。毎日、釣りに行くんだ」
それから5秒後、スマホが鳴った。彼女だ。近くまで来ているらしい。ドライバーにもう一度尋ねた。
「でも、時間がないんだ。どうすればいい?」。
彼は、視線で彼女が到着したことをぼくに知らせた。そして微笑みながらこういった。
「私を信じて。時間はある」
それっきり、そのタクシードライバーには会っていない。