SNSが変えてしまった「完璧な人生」を追い求める私たち
ここで紹介するのは、2015年の2月に「Elite Daily」で公開された、Miranda Athanasiouさんの記事。
「SNSが普及して、当たり前のように世界と繋がれるようになった今、InstagramやFacebookに夢中になるのもいいけど、リアルを感じない若者も多いのでは?」。そんな彼女の主張は、2017年になった今でも、まだグサッとくるものがあるはず。
みんな、
リアルを100%楽しんでる?
「見た目がすべて」になってしまったように思うの。
自分が楽しい時間を過ごすことよりも「自分は最高の時間を過ごしているんだ」と発信することのほうが大切だと思っている人々が多いような気がするわ。
みんなで出かけた夜に撮った27枚の写真は、実際にどんな夜だったのかよりも大事なの?だって今や、女の子が新しいワンピースを買うのは、パーティでの実際の評判よりも、SNSのプロフィール写真を意識しているから。
SnapchatのストーリーやInstagram用の写真を撮らずに夜の街へ繰り出すなんて、もってのほか。どんな冒険も証拠がなければ、世界のみんなにとっては起らなかったも同然なのかもしれない。
恋人の見つけ方だって
いろいろ
BARに行っても、半分の人がスマホに夢中になってる。自撮りをしていなくても、マッチングアプリを見て、素敵な人との出会いを楽しんでいるのかもしれない。実際に会話する気なんてなさそうに、目の前にいる人たちをスルーしながら。
オンラインで出会う相手は、夢を売ることに一生懸命な人たちばかり。彼らがアップするのは“完璧”な写真。1枚1枚最高の光とアングルで撮って、“1番良く”見える写真だけをアップしているの。
だから初デートは、照明が暗めのお店だと嬉しいみたい。彼はデートした女の子が実際にどんな子なのかどうでもいいらしく、その子のイケてるプロフィール写真しか見せてこない。
「幸せ」は
人に見せるためのもの?
もちろん、愛するパートナーを見つけた人だっている。
でもそんなカップルの多くは、2人の関係をSNSに載せないとうまくいってることを確認できないでいる。花をプレゼントされたら、その花の写真をアップしなきゃいけない。「誰かに知らせるための幸せ」になってしまっている。
そして、そんな幸せ自慢でいっぱいのニュースフィードを見て、シングルの人たちは恋人を見つけられないでいる現状を思い知る。
「花を贈ってくれた」「週末にパリに連れてってくれる」なんて、もうたくさん。「大好き」というコメントやハートだらけの写真が永遠に続くと、自分の人生がちっぽけに思えてくる。みんなマイナスなことは自分の中に留めて、最高の瞬間だけをアップしているということを忘れてしまうの。実際は同じかもしれないのに…。
恋人との関係がうまくいってるかどうか、何枚写真をアップしているかで決まるなんておかしいと思うの。写真をアップしない人は恋人との関係が微妙で、残念な人生を歩んでるって思われてしまう可能性があるのが「今の時代」。
そしてこれは、恋人との関係だけの問題じゃない。
たとえば、友だちと約束をして待ち合わせをするとき。これは、会いたいから?それとも、Snapchatで「自分の人生は楽しいの」って世界にアピールするため?
「いいね」が少なくても
幸せな人はたくさんいる
「自慢する文化」の影響で、人は自分の人生を解説することに精一杯になっている。おかげで実際の人生を生ききることを忘れてしまっているような気もするの。はっきり言って「車の中で撮った37枚の写真」から、最高の思い出は生まれない。
彼らの人生は、まるで人気コンテスト。しかも、その人気コンテストは実際の友だちの数よりもTwitterのフォロワー数のほうが大事にされる。Instagramにアップされた写真も「いいね」の数が少なければ、次の日にはフィードから消えてしまう。たったそれだけのことで、どれだけの人が自分を評価してくれているのか決まってしまうの?
これ以上、SNSに振り回されないでほしい。
Instagramの「いいね」がなくても友だちがたくさんいる人もいるし、何百人から「いいね」が付いているのに、実際はひとりぼっちの人もいる。
写真なんか撮らずに愛を誓い合うカップルが、デートするたびにツイートしているカップルよりも幸せだったりする。
自慢はしないけど家のローンを半分払い終わってる人もいるし、毎週VIPに選ばれるけど実は1円も貯金していない人もいる。
ネット上で見るものがすべてだと信じ込まないでほしい。だって、外見なんてそれだけのものだから。