ミシェル・オバマ夫人の「バラクはもっと友達を作るべき」発言に込められた深い意味。
先日開かれた、オバマ財団主催のサミット。そこでミシェル・オバマ夫人が、「私がファーストレディーだった時は、たくさんの友人が私を支えてくれた。でもバラクにはそういう友達が多くなかった。もっと友達を作るべき」と発言したそう。
「バラク・オバマ、ぼっちなのか…?」と思ったけどそういうことじゃなく、この言葉にはもっと深い意味が隠されていたのだ。
「性の押し付け」は
オトコの首をも絞めつける
社会の性的規範は、女性だけでなく男性を苦しめていることがあります。男の人は「男らしく」「たくましく」なるように育てられる傾向が強いので、あまり人に頼ろうとせずに全部抱え込んでしまうのです。
男の人も、もっと自分の弱みを出して、繊細さを隠さず、人に頼っても良いのではないでしょうか。性的な規範に縛られない社会をつくることは、男性にとっても生きやすい社会をつくることではないでしょうか。
国内最大のリーダーシップを発揮しなければならない大統領であったバラク・オバマは、国の頭としてはもちろん、それ以外の場でも、男として、「独立」していることが求められたのだ。そのパートナーであるファーストレディーには、公私ともにたくさんの支えが自然とついたのにもかかわらず。
まぁね、男だもの。たとえ一番の重圧を背負っていようと、いやだからこそ、「カッコ悪く」ならないようにって思っちゃう時はあるもんだ。でも確かによくよく考えれば、それって根拠のないことなんだな。
「男vs女」じゃ、ない。
そういえばエマ・ワトソンも、3年ほど前から「He for She」という男性が積極的に参加する男女平等の活動を開始・推進している。多くの感動を呼んだ国連でのスピーチの中で彼女が繰り返し強調しているのは、オトコも「性規範の押し付け」の渦中にいる、被害者であり当事者だってことだ。
「フェミニスト」が嫌われがちなように思え、なんとなく名乗りづらいのは、「男嫌い」というイメージがつきまとい、そこに居心地の悪さがあるからではないでしょうか。
これは「男vs女」の問題ではないのです。男は◯◯でないといけない。女は××でないとけない。そういう考えを打ち砕く、一人ひとりの自由のための議論なのです。
男女ともに繊細でも、強くもいられる自由がある。今、対立ではないジェンダーについて考えるべきではないでしょうか。
なるほど、とにもかくにももうお互い、自由になろうよってことなんだ。女だから美しくないとダメ、男はお金持ってるべき…別に逆だってそうでしょ?美しいのもお金があるのも、そりゃあ良いことだろうけど、なんで論拠が性別なの?って。
役職だって性別関係なく、向いている人がやるのがいろんな面で一番いいに決まってる。家事が大好きな旦那と、バリバリ働きたい奥さんがいたとして、なんでわざわざ我慢して逆のことをしなきゃなんないの、って話なんだ。なのに、議論の段階ですでに「男vs女」の対立構造に無意識に立ってしまうのは、確かに矛盾しているように見える。それくらい深い意識で、性別が刷り込まれているんだろうけど。
今まで「僕はフェミニストです」っていうとなんとなく「お前は男の味方じゃないのか」とか「あんたに女の気持ちがわかるか」とか言われそうな気もしてたけど…。女性の権利の拡張が「性の押し付け」を弱めるなら、僕は僕のためにフェミニストでありたい。こう考えるのもアリかもね。