嫌うことだけが、差別ではなくなってきている。

ある日、友人が不満を漏らしてきた。

「『LGBTって、最近の感じがするし、いいと思う。オシャレだよね』って言われて。意味がわからない。こっちはファッションでやってるわけじゃないのに

彼女はレズビアンだった。 タレントや芸術家による性的マイノリティのカミングアウトが増えてきたこともあり、彼らに向けられる視線は以前とは少しずつ変わり始めた。だけれども、今までとは違う問題も浮かびつつあるように思える。

それを示しているのが、先日話題になったアメリカの歌手リアーナの発言だ。

マイノリティを道具にしないで。

自身の展開するメイクブランドでのモデルのキャスティングについて、「トランスジェンダーの人たちをモデルとして採用する予定はあるの?」という質問をTwitterで受けたリアーナ。確かに性的マイノリティを取り上げるとなれば、メディアからの注目はより集まりそうではあるけれど、彼女はこう返したという。

私は多くの才能のあるトランスジェンダーの人たちと働いてきたわ。でもモデルのキャスティングで、そのような考慮をするつもりはないの。

それは私がストレートの人を、ストレートだからという理由で採用する訳じゃないということと、全く同じことよ。セクシュアリティーは個人的な問題であって、私自身は他人のセクシュアリティーに関心はない。

多くの企業が、そういうことをやっているということは知っている。でも、多様性のアピールのために、見栄えだけよくしようと考えるのは、彼らに失礼よ。彼らはマーケティングのためのツールじゃないんだから。

今まで存在を無視され、抑圧され、隠されてきた人々が、社会において可視化され、尊重されるようになるのはもちろん良いことだと言えるだろう。だけど、彼らを祭り上げたり、過剰に扱うことには慎重にならなければならないのではないだろうか。

彼らを普通の存在として多数派と同等に扱うことが大事なのであって、特別に騒ぎ立てて好奇の目で見るのは、それを「異常でおかしなもの」として扱っていることに再び近寄りかねない。そういったことを彼女は言っているようにも見える。

無意識の差別・好意的な差別?

もちろん、「トランスジェンダーの人を起用しないの?」と言った人も、私の友人に「LGBTってオシャレ」と言った人も、きっと悪気があったわけではないのだろう。しかしこういった発言は「無意識の攻撃」、つまりはマイクロアグレッションと呼ばれるものとして近年注目を集めている。

マイクロアグレッションは、「日々のありふれた言葉、行動、または環境の面 での侮蔑的な行為で、意図的かどうかにかかわらず、有色人種に向けて相手を軽視し侮辱するような敵対的、中傷的、否定的なメッセージを送るもの」として2000年代に入ってから定義され、現代では人種に限らず性別やセクシュアリティの分野でも指摘されている。

例えば先ほどの2つの発言には、根底に「トランスジェンダーは、普通ではない」「LGBTはファッション」というメッセージが込められていると言える。

こうしたやりとりは日常の中で当たり前にされがちなことなので、「意識しすぎだよ」などとなだめられて見過ごされるか、発言者の無意識を理由に紛らわされやすい。

つまりは現代、嫌うことだけが差別ではなくなってきているのだ。こういった差別の形態の例はマイクロアグレッション以外にも、好意的に行なっていることが差別になるという性差別の面での「好意的セクシズム」としても研究が進んできている。

差別は個人の意思だけでするものではなく、社会に刷り込まれる面もあるのではという話はにも少し触れたけれど、だからこそ「差別はしないようにしよう」と考えるだけでなく、「無意識に誰かを傷つけていないか」と意識的に考えて動かなければいけないのではないだろうか。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。