私たちの住む町には宝がいっぱいあるんだって、講談師さんが教えてくれるのかも。

聞いたことありますか?「講談」

講談師さんって、喋りながら目の前の台をバシバシ叩くんですよ。たまたま機会があって、初めて講談を観に行ったのは去年の秋のことでした。ちなみに、私の周りの若い世代が「講談」に対して抱いているイメージはこんな。

 

「話している内容が理解できなさそう」

「落語との違いがわからない」

「どこで聞けるのかわからない」

「聞きに行くにも、なんだか緊張する」

「年をとったら聞くものだと思う。渋い」

「そもそも、知らない

 

あや〜って感じですけど、ま、私のイメージも以前はだいたい似たようなもんでした。

でも実は、プロレス、酒、犬、偉人、花、JAZZ、歴史、地デジ化、牛タン、戦争、ゴッホにオリンピック…。あげたらキリがないけれど、とにかく多くの人が想像しているよりも、講談の題材になるものの幅は広いんですよね。そして、たぶんみんなが想像しているよりも、講談の世界は柔らかくておもしろい


そして今回、講談師・田辺鶴遊さんとお話ししていてわかったことがもう一つ。講談師さんって、私たちの故郷や住んでいる場所の宝を発掘して、魅力的に伝えてくれている人だった!

水戸黄門も、遠山の金さんも
もとは講談だったものですから

——これ、最初に聞いておこうと思うんですが、よく聞かれませんか?「講談と落語って何が違うの?」って。

 

鶴遊:そうね。笑いの有る無しが落語との違いだって言われることもあるんだけど、講談にも笑いはありますよ。だから落語はこう、講談はこう、と明確には分けられないんだけど、

 

【落語】会話がたくさん出てくる話が多い

【講談】会話以外の地の文が多い話が多く、張り扇で釈台を叩きながら調子をつけて“読む”

 

大きく分けるとそんなですかね。ちなみに台を叩く張り扇は、講談師の手作りですよ。僕はいっぱい叩くから、すぐボロボロになっちゃうね。

鶴遊:あと講談は、“読む”という表現をします。

 

——アレ、でも実際は台本とか読んでないですよね?

 

鶴遊:昔は釈台に本を置いて読んでたんですよ。今は置いてるとカンニングしているって怒られたりもする。

江戸時代の講談師・田辺南窓という人が「覚えて見ずに講談したらびっくりするんだろう〜」と言って台本読まないスタイルを始めちゃったの。だから後世の講談師はそうしないといけない感じになっちゃって…。別に置いたって構わないんだけどね。

あ、そうだ。パッと思い浮かぶ時代劇を言ってみてください。

 

——時代劇? ん〜…遠山の金さんとか?

 

鶴遊:遠山の金さんね。水戸黄門も大岡越前も。今人気のありとあらゆる時代劇はみんな、元は講談だったんですよ。

 

——そうなんですか!

 

鶴遊:そう。講談社って出版社あるでしょ。昔は講談の読み物を専門で出していた所ですよ。講談師が話したことを速記者が速記して本にして世の中に出していた。これこれ、講談倶楽部とかね。新聞の付録に講談が付いてたりもしたんですよ。

鶴遊:講談をする場所(講釈場)は昔は江戸に200軒以上。一方、落語を聞かせる場所(寄席)は170軒くらい。講釈場のほうが多かったんですね。講談師も700〜800人いて、講談の読み物もいっぱいあった。今では70〜80人くらいです。

 

——“講談師は昔のニュースキャスター”という考え方も聞いたことがあります。

 

鶴遊:そうそう。例えば江戸時代でいうと「赤穂浪士の討ち入り」。こりゃ大事件だったんだけど、当時はテレビもないし識字率も高くない。だから講談師に聞かせてもらおうってんでみんな集まってきたんです。事件をわかりやすく大衆に伝えるってことも、講談師はしていたのね。

 

——へ〜。現代の講談師はどんなものを読むんですか?

 

鶴遊:歴史とか軍記、世話物は古典講談といって、それとは別に新作講談もある。新作にはいろんな題材がありますよ。

うなぎ、地デジ化、オリンピック?
現代の講談は、想像以上に柔らかい

鶴遊:新作の題材はね、いろんな人と話していると、思いついたりします。公演しに行った場所で知り合った人に「こんなのどう?」って紹介されて次の題材が決まったりすることも。

 

——うなぎ屋さんや銭湯での講談とか?

 

鶴遊:うなぎ屋さんで講談したのは、エッセイを書いた「月刊 日本橋」のご縁。でもうなぎ自体を題材にするのは、珍奇な生き物だから情報が膨大で、絞り込むのが難しかったですね。

銭湯の講談ってのは、師匠の故・田辺一鶴が始めた“東京ニューヨーク(入浴)寄席”のことですね。銭湯の脱衣所でやるんだけど、昔は200軒以上あった講釈場が、今は日本に一軒もない。生のお客さんの前で講談をやるってのは、自分たちの稽古の場にもなるんだけど、やりたくとも場所がない。だったら自分たちで乗り込んで行こうってんで始めたんです。

他にも、テレビの地デジ化を説明する講談をやりながら全国を回ったり、亡き師匠の一鶴から受け継いだ1964年の東京オリンピックを題材にした講談ってのもやってますよ。やろうと思ったら結構なんでもできちゃうんだよね。

伝統芸能をひっさげて
講談師はゆくよどこまでも

写真:多田裕美子

——地方にもよく行かれて公演してるんですよね。

 

鶴遊:色々行ってますよ。例えば福島に行ったら仙台まで足伸ばしてみようかなって思って行ったりもしてね。すると土地土地で偉人がいたり、牛タンの始まりが面白いんだよって話を聞いたりもして。それがまた次の題材になったりするんですよね。

 

——牛タン講談!?  聞きたい!

 

鶴遊:需要があってお金になると判断されればね〜。

 

——そこはシビアなんですね(笑)。1番行くことが多いのは、地元の静岡ですか?

 

鶴遊:徳川家康、清水次郎長、山田長政…。最近の講談師がやらなくなって、埋もれてる静岡の題材ってまだまだいっぱいあって、じゃあ静岡は自分が育った場所だし実家がある場所だしってんでやってみようかなってなったの。

私の生まれ故郷である名古屋近辺も、名古屋人が忘れてしまった偉人がたくさんいますよ。豊竹呂昇とか、後藤新平あたりの題材は、今の私のライフワークです。

 

——地元の人からしたら、講談で土地の宝を発掘してもらっているみたいな感覚ですよね。あなたの町はこんなすごい人を生んでいるとか、こんないい場所があるとか。みんな喜ぶんじゃないですか?

 

鶴遊:そうですね。北海道では、日本最北端の酒蔵の出で、日本初の点字図書館を作った「本間一夫 伝」をやったし、最近では北九州の「関門海峡」を世の中に売り出そうっていうイベントで講談をしましたよ。あそこは知られていない良いものがいっぱいあるし、偉人もいっぱい出てる。九州側は経済人、長州側は政治家をいっぱい出してますよ。

 

——他にも?

 

鶴遊:群馬県の草津では、高山植物の講談をやったな。白根山のコマクサっていう高山植物が絶滅の危機にあって、それを復活させようって頑張ったおじさんがいて、いつしかその運動が広がって、地元の小中学校の行事になったの。

スキーで有名な草津出身の萩原兄弟、彼らの学生時代一番の思い出は、このコマクサを大事にしようって活動だったという話もしましたよ。

写真:多田裕美子

鶴遊:忙しくあちこち回ってるのが好きなんです。あ、そうそう。いいもの見せてあげる。毎年手帳を買って持ち歩いてるんだけど、そこに公演で巡った場所のハンコを押して回るのが好きなの。

 

——わ〜、ご当地ハンコ。

 鶴遊:そ。小樽、ススキノ、旭川、札幌、恵庭、いかめしの森町、函館、松前、桜の時期には弘前、郡上八幡、須賀川、犬山城…。

 

——もはや旅ですね。旅する講談師!

 

鶴遊:地方はね、呼ばれて行くこともあるんだけど、講談するからには、その題材についてまず僕が詳しくないとと思ってて、あちこち回ってるんです。資料を読んで勉強するのはもちろん、実際にその土地へ行って地元の人にいろんな話を聞いたりしてね。

 

——ん〜、でも昔から「講談師、見てきたような嘘を言い」なんて言葉もありますが、鶴遊さんは違うんですね。

 

鶴遊:確かめた上でやると、言葉に説得力のようなものが増すんじゃないかと思って。そういうやり方を、亡き師匠の一鶴もしていたしね。今の師匠・宝井琴梅も。

琴梅師匠は農業のよさを説く農業講談ってのやってるんだけど、実際に新潟県の南魚沼で田んぼをはじめましたしね。そこで土地の人と仲良くなってあちらに講談する場所まで作れたし、月一で講談しに行ったりもしてる。そんなのを見てると、なおさら大事なことなんだなぁって思います。

気づき、励まされ、元気になる。
講談はただの娯楽にあらず

——最近、伝統工芸品の展示会に行く機会があったんですが、どの伝統工芸品も今の人にウケるようなデザインのものを出していたんですね。それを見てたら、伝統的なものでもそんな風に時代に合わせた柔軟性みたいなものが、生き残っていくためには必要なのかなと思ったんです。

 

鶴遊:うんわかります。

 

——で、講談にも同じような柔軟性を感じるんですね。でもそれって、作り手側というか当事者側の人たちからしたら、微妙とは思わないんですか?

 

鶴遊:それは思わないね。まず師匠が柔軟な人だったというのがあるし、明治とか昔の講談師だって、時代の人にウケるようにその時々でアレンジしてやっていたんですよ。

500年以上続いている話芸だけど、講談も柔軟に時代に合わせていかなければ生き残れなかったんだと思います。もちろんそれは、根っこの価値観や大事な芯は守りながら。今でいうなら、わかりやすくしゃべるっていうのもそういうことのひとつかな。

 

柔軟性を備えた講談のできることって、無限大。

娯楽として人を楽しませることはもちろん、捉え方の幅が広く、人によっては何かの気づきがあったり。それによって励まされる、勇気付けられる人がいたり、誰かの生き方の指針になることもあるかもしれません。

そして今回特に感銘を受けたのは、講談には、地域を盛り上げたり、その土地に住む人たちが、地元の魅力を再認識するきっかけを与える力があるということ。これは地域のことに限らないけど、講談師さんの「それ自体のいいところを見つける力」は本当にすごい。

 

——地方自治体の人は、鶴遊さん呼んで、講談で魅力PRしてもらったらいいのにって本気で思いますよ。

 

鶴遊:まあ、 基本的にはいいことしか言わない商売ですから(笑)。

 

とにかくビビらずに、みんな一度聴きに行ってみたらいいと思います。東京なら、上野広小路亭とか、浅草木馬亭とかそのほかにもいろんな所で聞けます。

東京に比ベると地方の人は講談に触れる機会が圧倒的に少ないから、地方出身者の私としては、今以上に全国各地を飛び回って公演してほしいなって、鶴遊さんにお願いしておきました。

 

 鶴遊:何処へでも行きますよ。僕の亡き師匠の一鶴はね、かつて総武線の中とか、冷蔵庫の中とかでも講談やった人だったんですよ。だから、僕も何処へでも。あちこち忙しく飛び回っているのが性に合っているしね」

 

——スタンプのコレクションも増えそうですね!

写真:森山 越 / 取材協力:浅草 珈琲天国

【次回公演情報】

「えどがわ講談の会 〜旗揚げ公演〜」

■日時 2018年2月21日(水)

■場所 江戸川区新川さくら館

■お問い合わせ みのるプロ takarai19781117@gmail.com

 (名前、住所、電話番号、人数を記入の上送信ください。後日確認の連絡があります)

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。