どこにあっても心の故郷。浅草の民謡酒場『追分』が61年の歴史に幕
ダイナミックに変化を続ける日本。
その波の中で失われていく景色への哀惜の情——。
今見なければ一生見られなくなるものの記録をはじめます。
今まで、たくさんの若手三味線奏者や、民謡歌手がこの場所を通り過ぎていきました。ここは浅草にある、日本最大級で歴史も最古の民謡酒場『追分』。
その追分が、浅草での61年の営業に幕を下ろすそう。別の場所で店は続くというけれど、たくさんの人たちに長年愛された浅草でのステージが見られるのも、残りわずか。61年の歴史を偲んでここに紹介します。
民謡はかつて
若者の心のよりどころだった
民謡とは、各地で庶民が生み出し歌い継いできた歌謡のこと。戦後高度成長時代、農村の若者は“金の卵”ともてはやされ、都会へ集まっていきました。今のようにネットもSNSもない時代、郷里を離れた者の孤独を癒やすのは、慣れ親しんだ地元の民謡。東京屈指の歓楽街・浅草でも、吉原遊郭(台東区千束)あたりには、民謡の生演奏を聞かせる「民謡酒場」が雨後の筍のごとく現れたそうです。
当時は娯楽がほとんどない時代。民謡を通じて人と交われて、同世代の若者や民謡好きが集う民謡酒場は、第二のふるさとのような存在であったことでしょう。
「浅草・追分」は
若手民謡家の登竜門だった
すっかり数は減ってしまいましたが、現役で営業中の民謡酒場はまだいくつかあります。中でも浅草にある『追分』は、現存する民謡酒場の中でも最大級で、歴史も最古となります。「おじいちゃんやおばあちゃんのサークルのようなものかな?」と想像しながら出かけてみると、演者は若衆ばかり。聞くとなんと、10代までいるという話です。
18時ごろに到着すると、すでに先客が数組。客席は畳にテーブルというクラシックスタイルで、ステージもすぐ目の前です。若女将以下、法被を着た若衆が忙しく立ち働くのを見ながらの飲食は、実に粋なものです。
19時になるとステージがはじまります(第二部は21時~)。店内が暗くなり、さっきまで接客をしていた若衆がステージに上がり照明で照らし出されると、ちょっとしたスターの顔に。そうか、彼らは演者だったのか。民謡や踊り、竹製の楽器「銭太鼓」演奏、津軽三味線演奏など、多様な演目が披露されました。
ステージ終わりに、「歌や演奏だけでなく、接客もソツなくこなせて、みなさんすごいですね」と若女将に聞いてみると、
「追分は、民謡界の登竜門のようなものなんです。地方から民謡歌手を目指して上京し、住み込みで働く人もいるほど。昼は師匠のもとで歌や三味線を学んで、夜は追分に出演する、大学に通いながら追分で働くなど、さまざまなスタイルで働いています。津軽三味線の吉田兄弟のお兄さんも、ここで修業していたことがあるんですよ」
と教えてくれました。
演奏や歌の技術だけでなく、接客の腕や社交術を身につけ、羽ばたいていくのです。でも、プロデビューしてからも「追分だけは出続ける」と言う人もいるほど、ここは永遠の心の故郷。
民謡を知らなくても
美味しいし、楽しい場所
歴史も伝統も超一流ですが、なんの気兼ねもありません。堅苦しいどころか、すべての人に開かれた楽しい大衆酒場そのものです。浅草だけあって、下町のソウルフード「どじょうの唐揚げ」も絶品。カラッと揚がっているから、スナック感覚でポリポリいけます。追分は、お酒や料理だけ目当てでも十分楽しい場所なのです。
それから客層は、粋な旦那衆風のおじさま方ももちろんいますが、20代、30代のお客さんも少なくありません。畳にテーブル、それから座布団。隣席との距離もほどよく、なんだか平和で平等でいい感じ。
追分は新天地へ。でも
ステージの傷は持って行けない
語りつくせない物語ばかりですが、残念なことに『追分』は閉店することになりました。閉店の経緯は割愛しますが、お店の経営は極めて好調。お客さんのハートもしっかりつかんでいるから、新天地でも繁盛するでしょう。「追分閉店!」という情報が公開されるやいなや、閉店を惜しむ常連が全国から押し寄せ、連日満員になるほどですから。常連さんは全国各地にいるし、若女将や従業員も「お店がどこにあっても、自分の軸足は追分」と決めているようです。
「ずっとこの地で続けていくつもりで、1階客席を改装したばかりだし、思い出いっぱいの三味線や舞台の小道具なども持って行くつもり」と若女将。ただ、みんなが刻んだステージの傷だけは持って行けないね……とやっぱり少しさみしそう。
見てください、この活気と賑わい。それから流れた時の重さ。
2018年12月19日、ここは無くなり、この光景はもう二度と見られなくなります。
「追分」
住所:東京都台東区西浅草3-28-11 追分ビル
TEL:03-3844-6283
営業時間:17:30〜24:00
定休日:月曜日