日本一若いイチゴ農家。日南の「たいぴー」が教えてくれた、百姓の話
すでに色々なメディアでも取り上げられているので、ご存知の方も多いかもしれません。
日本一若いいちご農家こと、たいぴー夫妻(※ノリがいい)。
宮崎県の日南市へ移住して「くらうんふぁーむ」という農園を経営しているんですが、約2年前から、農家1年目にも関わらず先行販売をクラウドファンディングで募るなど、新しいビジネスモデルに挑戦していました。
面白い人たちがいるなぁーと思いつつも直接お話する機会がなく、今回日南に行くチャンスがあったので、ウワサのいちごファームに突撃してきました。
「失敗に憧れていたんです」
1992年生まれのたいぴー(本名:渡邉泰典)は、23歳の時にいちご農家としての人生をスタート。
「順番的には、北郷のまちに住みたい→農業がしたい→作るならいちご、っていう感じで、いちごの優先度が高かったわけではないんです。大学3年生の時に自転車で九州を旅していたら、たまたまこの北郷に来てしまい(笑)、のちの師匠になる南さんという方に出会いました。僕は当時、学生に農業体験を斡旋するサークルの代表をやっていて、どこかで企画できないかなって探していたんですよね」
打診からのスピードはとても早く、半年後には50人の参加者を連れ、1週間のファームステイを実現していたとか。
「4年くらい続きましたね。それをやっているうちに、農家はもちろん、地元の人、役所関係の人と触れ合う機会が増えてきて、その人たちと同じ環境、同じ場所で仕事をしたいなって思うようになったんです。このまちピンポイントですね。北郷に来よう、って」
身寄りがいるようなUターンではなく、都会で仕事のキャリアを積んでいたわけでもない。やっぱり気になったのは、不安じゃなかったの? ということ。
「ぼく、過去の大きな失敗や闇を抱えている人が好きで(笑)。わりと、なんとかなるかな、失敗したらしたでしょうがない、くらい気持ちでした。むしろ失敗しにきた、というか…。
学生時代にやっていたコーディーネーターも楽しかったんですけど、どこかで “自分の言葉で語れない” もどかしさを感じていました。農家をやるかコーディーネーターを続けるか悩んだときに、コーディーネーターは農家をやったあとからでもできるなって思って」
それにしても、大学を中退して思い切った決断をしたものです。
「以前、千葉の田んぼに入らせてもらったとき、有機栽培でも一般的な栽培でも、畑ってそれぞれの農家の哲学によって絵が変わっていくキャンバスだなって気づいたんですよね。農家はそこに描いていくアーティストだなって。そう考えたら農業ってめちゃくちゃカッコいいって」
100の
生業(なりわい)を作る
自分たちのことを「現代版 百姓」というたいぴー夫妻は、いちご農家とはちがう顔もたくさん持っています。皿回しやバルーンのパフォーマーとして学校や敬老会を回ったり、学習塾を経営していたり。「くらうんふぁーむ」という屋号も、道化師という意味と、いちごの起点となる王冠の意味と、両方が込められているそう。
「塾って言っても、ぼくは褒めてるだけです(笑)。でもこれってけっこう本質だと思っていて、このまちは小学校から中学校までクラスがひとつとかなんですよ、20〜30人で。低学年のころの学力とか順位がそのまま行っちゃうんですよね、学校からも友達からも親からも『勉強ができない』っていうレッテルを貼られて。でも、できる問題からやって自信をつけてあげて褒めると、どんどん伸びていくんですよ。両親もすごく喜んでくれます。…で、いちご売る、みたいな(笑)」
このパネルも、プロのチョークアーティストとして活躍する奥さん、茜さんの手によるもの。
茜さん曰く「私生活を切り売りしております」という、4コマ漫画の農家のヨメblogも人気のひとつ。ぶっ飛んだプロポーズ話から移住ネタまで、毎週更新しているんです。
「みんながやらないことを、やる」
「基本的には、“ないものを作る” っていう考え方です。いちごも、他の農家さんたちがやらないような品種に挑戦したり、パフォーマーの仕事もそうですし、塾も『成績半分以下の子を平均にする塾』にしよう、とか(笑)。自分たちが必要とされていることに挑戦しながら、100の生業で食べていけたらいいなって思ってます」
ただの田舎暮らしへの憧れではなく、都会だけの暮らしがすべてではないし、むしろこのまちでやるほうが価値が高くなるのかもしれない。
—— そんなたくさんの試行錯誤のなかで「百姓」を目指す夫婦に、なんだかヤバいくらいの生命力を感じたのでした。
「くらうんふぁーむ」
住所:宮崎県日南市北郷町郷之原乙625-1
TEL:090-9955-8388
E-MAIL:info@clown-farm.com