母が屋根裏に遺した「禁断のネガフィルム」
Asyaさんがある日自宅の屋根裏部屋で見つけたというネガフィルム。いまは亡き母親が冷戦中のソ連で撮ったものですが、そのほとんどはプリントされずにしまわれていたのだそう。
というのもこれらの写真は、政府へ反抗するムーブメントが密かに行われていたころに撮られたもの。そして母親は写真家として深く関わっていたのでした。
でも当時のソ連政府への批判は、社会主義体制への批判ととられ得る危険な行為。言論統制もあったなか、様々な理由でプリントを控えていたのかもしれません。
お母さん本人 レニングラード 1976年
58歳でソ連の精神病院(当時は政府への反対派が「精神病患者」のレッテルを貼られ、過酷な環境の精神病院に監禁されたケースも多かった)にて、病で命を落としたという母親。
娘として、Asyaさんは彼女の功績を世に出すことを決意しました。
ちなみに、これらの写真が撮られた1970年代後半から1991年ごろといえば、日本もロッキード事件が明るみに出たり、ゆとり教育が始まったり、ファミコンが出たりリクルート事件が発覚したり、パソコンが普及したり、平成や「失われた20年」が始まったりと激動の20年を過ごしていた頃。
「全ての歴史は現代史である」なんて言葉もあるけれど、今は「歴史」になったその時代の渦中を実際にいきていた人がいる。その瞬間が切り取られている。今それをどう見るか。そんなことにまで思いを馳せてしまう写真です。
世界の、大きな流れのなかで
レニングラード 1976年
レニングラード 1976年
レニングラード 1976年
レニングラード 1975年
レニングラード 1976年
レニングラード ネフスキー大通り 1976年
プッシュキンズカヤ 1976年
スタラヤ・ルーサ 1976年
スタラヤ・ルーサ 1976年
レニングラード 1979年
レニングラード 1978年
モスクワ 1979年
レニングラード 1979年
レニングラード 1976年
レニングラード 1976年
モスクワ 1976年
右は幼い頃のAsyaさんで、左は父親。
トビリシ 1989年
トビリシ 1989年
モスクワ 1978年
レニングラード 1975年
モスクワ 1983年
レニングラード 1976年
レニングラード 1974年
レニングラード 1978年
レニングラード 1979年
レニングラード 1979年
レニングラード 1981年
アニチコフ橋 レニングラード 1976年
レニングラード 1977年
サンクトペテルブルク 1993年
カルパティア山脈 1976年
レニングラード 1977年
レニングラード 1975年
レニングラード 1978年
レニングラード 1985年
モスクワ 1988年
モスクワ 1987年
レニングラード 1988年
モスクワ 1988年
サンクトペテルブルク 1991年(ソ連消滅の年)
お母さん本人 レニングラード 1989年
Asyaさんは、これらの写真を母親の名前をとって「Masha Galleries」と名付けたサイトで公開中。Instagramでも、多くの反響を呼んでいます。
Licensed material used with permission by Masha Galleries