南極に取り残された15頭の犬。そして起こった奇跡【タロとジロ】

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

第二次南極観測隊が15頭のカラフト犬を残して撤退を決めた日

1957年10月20日、東京・日の出桟橋から一隻の船が出港します。軍用船を改造し、砕氷性能を向上させたその船の名前は「宗谷」。南極観測船です。

向かうは、同年1月に第一次南極観測隊(予備観測)によって作られた、南極大陸のリュツォ・ホルム湾東岸、東オングル島の「昭和基地」。

50名で構成された第二次南極観測隊の主な目的は、本格的な極地研究の開始と新たな隊員派遣、物資輸送、そして、11人の隊員と犬ぞりを引くために基地に残った19頭のカラフト犬からなる第一次越冬チームの回収でした。

そんな重大な任務を背負った宗谷でしたが、約2ヵ月後、南極大陸沿岸で想定をはるかに超える自然の脅威によって、その行く手を阻まれます。

搭載した砕氷機能が無効化されるほどの流氷群(アイスパック)によって航行不能となり、12月31日に発生した強力なブリザードの影響で、船体のまわりには巨大な氷壁が。まったく身動きがとれない状態のまま、約1ヵ月もの間、極海を漂う氷の一部となって漂流し続けたといいます。

その後、流氷群からなんとか脱出した宗谷と第二次観測隊ですが、1958年2月1日、もっとも恐れていた事態が発生します。船の推進力を担うプロペラを破損し、自力での航行がほぼできない状態になってしまったのです。

「任務続行は不可能」。そう判断したチームは、外務省を通じて、米海軍の砕氷艦「バートンアイランド」に救助を要請。当初の目的の達成を断念し、昭和基地で彼らの到着を待つ越冬チームを無事に回収することに全力を注ぎます。

小型飛行機(ビーバー機/昭和号)によるピストン輸送で隊員(人間)のすべてと数頭の犬の救助には成功したものの、断続的に起こる予測不能な天候の悪化による被害の拡大を防ぐために、2月24日、犬たちを残して撤退することを決めます。

昭和基地に残されたカラフト犬は、15頭。

・ジャック/大人しい性格。船酔いがひどい

・クロ/目のうえの白毛が特徴で、愛称は「お公家のクロ」

・デリー/シェパードの血が混ざった狼のような体つきが特徴

・シロ/頭がよく、先導犬として活躍

・アンコ/甘えん坊

・風連のクマ/力が強く、ケンカ好き

・アカ/檻を破って脱走する常習犯

・ゴロ/体が大きい。「風連のクマ」の子

・紋別のクマ/ほかの犬が疲れているときに先導犬を務める

・ポチ/短毛。大食漢

・ペス/大人しく真面目な性格

・深川のモク/旭川・深川生まれ。毛量が多いことから命名

・リキ/頭がよく、リーダー的なポジション

・タロ/首輪抜けが得意

・ジロ/前足の先が白いのが特徴

そして、約1年後の1959年1月14日。

第三次観測隊がヘリコプターで昭和基地に到着すると、そこには元気そうに尻尾を振る2頭の犬が......。

その2頭とは、そう──映画『南極物語』でご存知の方も多いであろう、タロとジロです。

15頭中7頭が鎖につながれたまま最期を迎え、運よく首輪を外せた数頭も生死不明の状況のなか、2頭は到着した隊員たちと南極の雪原を嬉しそうに転げ回ったといいます。

タロはその後、第三次、第四次観測隊に加わって活動した後、札幌で余生を送り、ジロは1960年7月、第三次観測隊に参加中、病気で亡くなりました。

いまだ奇跡として語り継がれる、タロとジロの物語。

地球環境の保護に欠かすことのできない極地研究への理解を深める意味でも、この奇跡にまつわることを調べてみては?

Top image: © iStock.com/Bernhard Staehli
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