「チャレンジしたい人へ」料理学校へ通ったことで、人生が変わったある女性の言葉
『情熱大陸』(TBS)をはじめとするテレビや雑誌でも話題の「料理プロデューサー」狐野扶実子さん。
日本では聞き慣れない職業ですが、フランスの有名レストランのメニュー作りや企業とのレシピ開発、国内外のVIPのホームパーティーまでを手掛けるなど、世界を舞台に活躍中です。
狐野さんは、20代半ば、日本で就職が決まっていたのを取り消し旦那様の転勤で渡仏。何かに全力で打ち込みたいという強い気持ちと料理が好きだったことから、『ル・コルドン・ブルー』パリ校に入学。 あえて厳しい同校を選択し、修得した技術と知識で、世界中にファンを持つ「料理プロデューサー」となりました。そんな彼女の言葉から、学べる部分は多いはず!
仏の料理学校『ル・コルドン・ブルー』の料理・製菓の各講座を首席で修了し、ル・グラン・ディプロムを取得。パリの三ツ星レストラン「アルページュ」の副料理長を務めた後、パリを拠点に出張料理人として独立。その後「フォション」のエグゼクティヴ・シェフを経て、現在は拠点を東京に移し、料理プロデューサーとして活躍中。
01.「パリにはたくさんの学校があります。その中で『ル・コルドン・ブルー』は、もっとも有名なんです」
02.「“ただの料理学校じゃない”“時間つぶしに通うような学校じゃない”と、とにかく誰に聞いても、ダントツの評価だったんです」
渡仏を機に料理をやろう、と思った時、これまで親しんできた料理とは違うフランス料理を学びたいと考え、現地で学校を調べたそうです。 選んだ理由は、知名度だけでなく“厳しい”という評判。狐野さんは、「あえて厳しい道を選んだ」と言います。
03.「私は、意を決して何かはじめるタイプじゃありません。ただ、やらないで、後でやっておけばよかった、と思うのが嫌だったんです」
「もう20 年も前のことなんですね」と振り返る狐野さんにとって、これまでの人生は、料理に例えられると言います。「食材を選んで、調理して、ひとつづつ丁寧にやっていく」というように、シチュエーションごとに、ちょっとでも興味を持ったら、はじめてみる。意志の強さを武器に“実りある人生”を現在も進行中です。
04.「フランスで学ぶメリットは、食材。豊かな食材があるから豊かな料理がある。そして、ゆっくり時間をかけて、豊かな時間を過ごすために、手間ひまかけて労働を惜しまず、準備する。つまり“食事を楽しむ”という姿勢を学ぶことができるんです」
05.「フランス料理は、盛り付けの美しさも魅力のひとつ。毎回味覚だけでなく、視覚的な効果についても先生がアドバイスをくれたことが印象的でしたね」
『ル・コルドン・ブルー』で学んだことは? という質問に対して。 料理の技術だけを学ぶ場所ではなく、フランスの豊かな食文化やアーティスティックなセンスに触れることができる――それが同校の魅力だったそうです。
06.「自分だけいい成績をとろう、とかではなく、皆で協力しながらやると、おいしいものができる。チームやグループで料理を作る楽しさも学びました」
また、「人って食するもので形成されているから、それぞれの国の食事はそこに住む人たちを表しています。食文化はとても大切だと思う」とも、狐野さんは言います。
08.「出張料理をはじめたのは偶然なんです。知り合いに頼まれて、そこに居た人が“次はお願いね”って。それが、領収書欲しいって言われて、それから会社を作った。喜んでくれるんだったら、と思って」
出張料理に限らず、すべて基本的には「届いたときに喜んでもらいたい」ということに心を配っているそうです。それも、さまざまな国の人やそれぞれの食事情も考慮に入れながら。
レストランの経営ではなく、出張料理人を選んだのはいろんな人、いろんな食材に出会えるのが楽しいから、と。味覚の違う人たちに出会って、市場に買い物に行って、想像もできない未知の「味」にワクワクする、と目を輝かせる狐野さん。厳しさに敢えて挑んできた結果がレストランの枠を超えて活躍する料理人へ。ひとつずつ丁寧に、食材や出会う人たちに向き合っていく姿勢が今につながっている。 狐野さんの人生を変えるきっかけとなった"フランス料理”に惹かれませんか?
『ル・コルドン・ブルー』1895年パリで設立されたフランス料理・菓子・パンの学校。そのネットワークは現在28ヶ国、ヨーロッパ、アジア、アメリカと全世界に広がり、日本では、東京・代官山と神戸の2校を展開。