旅と日常の境界線を壊していく、新しい旅のはじまり ―安藤美冬

安藤美冬さん安藤 美冬/Mifuyu Ando

1980年生まれ、東京育ち。慶應義塾大学卒業後、集英社を経て現職。ソーシャルメディアでの発信を駆使し、肩書や専門領域にとらわれずに多種多様な仕事を手がける独自のノマドワーク&ライフスタイル実践者。『自分をつくる学校』学長、講談社『ミスiD(アイドル)2014』選考委員、雑誌『DRESS』の『女の内閣』働き方担当相などを務めるほか、商品企画、コラム執筆、イベント出演など幅広く活動中。多摩大学経営情報学部「SNS社会論」非常勤講師。Japan in Depth副編集長。TBS系列『情熱大陸』、NHK Eテレ『ニッポンのジレンマ』などメディア出演多数。著書に7万部突破の『冒険に出よう』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。 オフィシャルサイト

 

001.
旅の動機は、環境と習慣。そして強烈な衝動

安藤美冬さん

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これまで50カ国近く旅したことがあるんですよね。そんな安藤さんの、初海外は何だったんですか。

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高校2年生の時に行った、『洋上セミナー』という東京都主催の国際交流事業でした(現在は休止)。高校から選抜されて、中国の北京、上海、天津の3都市に2週間、船で派遣され、主要な観光地を巡りながら、現地の学生と意見交換をしたり、(宿泊の伴わない)プチホームステイも経験しました。そこでその後に長らく文通をしあう中国人の友人に巡り会ったり、高校や学年の枠を越えて貴重な横のつながりができたりしました。さらに帰国後、『洋上セミナー』の参加者の中から数名のメンバーに選出していただき、当時の東京都知事に謁見して事業の報告をする機会も頂戴して。そういった素晴らしい出会いや幸運に恵まれて、2度目、3度目と海外へと行きたくなり、それから次第に旅することがが習慣化された感じです。

そもそもは、私の生まれ育った環境も影響していると思います。社会科の教師で、世界史の面白さを教えてくれた父親に、仕事の都合でマレーシアで生まれた母方の祖母。ハワイに留学した年上の従兄弟。そんな家族や親族から海外での話を聞いたり写真を見せてもらったりしながら、私にとっては子供の頃から海外というものは決して遠い存在ではなく、「いつか行ってみたい場所」だったように思います。そんな時に(先述の)『洋上セミナー』を知り、「これは行きたい!」と衝動が抑えられなくなり、翌日には応募書類を書き上げて提出しました。

旅に出るきっかけはいつだって、強烈な衝動です。いくら国をあげて「若者よ、旅に出ろ!」と叫んでも、その人自身に内なる衝動がなければ決して旅には出ませんよね。どうしても見たいもの、どうしても食べたいもの、どうしても会いたい人がいて初めて人間は旅に出るんです。

私の場合は、16歳で初めて経験した『洋上セミナー』での2週間の船旅を通じて、まるで“世界に呼ばれている”ような感覚が芽生えてしまった。もう、今となってはとんだ勘違いなのでしょうが(笑)、世界中に私を待っている人がいて、経験されるのを待っている未来が、目の前に広がっているような気がしてならなかったんです。「ああ、早く海外に出ないと!」と、それからは熱に浮かされたようにアルバイトをして、大学卒業までには、30〜40カ国は旅したかと思います。ええ、もちろん大学にはろくに行きませんでしたよ(笑)。

 

002.
大切なものは、内ではなく外にあった

安藤美冬さん

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そういった経緯もあり、大学在籍中にオランダにも留学されましたよね。アムステルダム大学に1年間交換留学したお話を伺わせてください。

 

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学生のうちに、半年や1年単位で一つの場所に腰を落ち着けてみたくなったんです。それも、年齢制限はあるものの、条件を満たせば社会人になっても参加できる「ワーキングホリデー」や「ピースボート」のようなプログラムではなく、大学在籍時しかできないことをしたくて、交換派遣留学を選択しました。

留学先にオランダを選んだのは、今思うと正解だったと思います。留学先を選定していた頃、尊厳死や同性婚の合法化、ワークシェアリングの促進など、国をあげて数々のイノベーティブな取り組みをしているといった情報を得たんです。雑誌記事だったような気がするのですが……詳細は覚えていません。それで、直感的にグッときたんですよね。「自由、寛容、合理性」というオランダならではのポリシーも気に入って、アムステルダム大学一本で交換留学を申請しました。TOEFLなどの点数もギリギリだった上に、大学院生を含む何名かが応募していたのですが、ここでも運良く1名の枠に入ることができました。

アムステルダムでの生活はというと、前半の半年間は真面目に勉強していたんですが、一向にうだつが上がらない留学生活でした。学部に日本人はたったひとりで、日常生活には自信があったはずの語学力は、メディアや美術といった広範な学問にはまったく歯が立たない。辞書とにらめっこしながら、焦りまくる日々でした。「このままじゃ、あと半年経っても日本に持ち帰るものが何もない」。悩んだ挙げ句、今しかできないこと、自分にしかできないことをしようと割り切って、後半の半年間は授業をこなしつつ、積極的に大学の外へ出て行きました。「ひとり課外授業」と名付けて。例えば、ツテを辿っていろんな人に会ったり、現地の日本法人など会社を訪問したり、元々興味のあったデザインや建築を見に行ったり、ロッテルダム映画祭に出かけて映画監督とお話をさせてもらったり。メキシコ人でゲイの友人が訪れた時は、1ヶ月間自宅に住まわせて、毎日のように二人で自転車に乗って遠出をしながら、お互いの人生を語り合ったりもしました。こうして、後半はこれまでの焦りが嘘のように消えて、充実感と自信がみなぎっていきました。

自分で今できることを考え、小さなアクションを起こしていったことで、「アウェイ」がまったく怖くなくなったんです。日本からはるかに離れた異国の地でも、自分の居場所はつくれる気がしました。だからきっと今でも、まったく知らない異業種とのコラボレーションや初めての仕事にも、躊躇なく挑戦することができるのだと思います。この胆力は、旅で培ったもの。今も私の地肉となって活かされています。

 

003.
想いは、言語の壁を越えて、世界をつなぐ

安藤美冬さん

 

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留学の経験で、印象的に残っていることはなんですか?

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2001年8月半ばにオランダに渡航して間もなく経験した、9・11です。ルームメイトの中国人、オランダ人、アメリカ人、そして同じフラットに住むイスラエル人や韓国人、その他いろんな国籍の学生たちと慣れない英語を使いながら、毎日のようにディスカッションしました。言語は時にもどかしいものです。なんと言う言い回しが適切なのか分からない、相手の使っている表現の意味が分からない。でも、「ノンバーバル」なコミュニケーションは違います。時に愛国心や、「この気持ちを伝えたい!」という情熱はは、言語の壁を越えてストレートに伝わってくるものです。事件について難しいことはわからないけれど、熱く語りあったあの時間は、今思い出しても胸がいっぱいになるくらいに、思い出深いものになりました。

また、留学経験を通じて多国籍の友人を持った事で、「人類皆兄弟」という当たり前の感覚を持てたのも大きかった。9.11という事件を通しても、アメリカ人、イスラエル人、シリアやヨルダン人など、本当にたくさんの人と意見を交わし合いました。そうすると、何かの事件をひとつとっても、「誰かのせいだ」「あの人種は嫌いだ」とは思えない。

今でもFacebookやメールを通じて留学時代の友人とはつながっていて、韓国人の友達の結婚をお祝いしたり、ノルウェー人の友達に生まれた、赤ちゃんの写真が送られてきたりしています。時には、旅先で待ち合わせてお茶をしたり赤ちゃんを抱っこさせてもらったりして。そうやって“血の通った交流”を一度でもしたら、その国の人を嫌いになれない。国家間のことは難しいしさておき、その人のことは嫌いになれない。そういう感情って、人間として自然な感覚ですし、地球人として当たり前の感覚だと思います。これが「人類皆兄弟」の感覚であり、まるで自分だけの世界地図が広がった瞬間です。

 

004.
正解を求めず、失敗を楽しむ旅

 

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旅で大切なことは、何ですか?

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正解を求めずに、失敗を楽しむこと。オランダ留学中に、バルセロナ→マドリード→トレド→グラナダ→バルセロナというルートで、スペインを10日間ほど周遊したことがあります。気ままなひとり旅だったのですが、実は私はすごい方向音痴。グラナダのアルハンブラ宮殿まで、市内からバスで5分~10分くらいの距離のはずなのに、なぜか徒歩で3時間もかかって(笑)。目の前にはアルハンブラ宮殿の標識があって、その姿も見えているはずなのになかなか辿り着かない。タクシーでもバスでも乗れば良かったのですが、途中から半ば意地が出てきて、「到着するまで徒歩で歩き続ける!」と(苦笑)。もう最後の方はヘトヘトでした。しかも、疲れきってその日のうちに乗った夜行列車でもうひとつのトラブルが。早朝、到着したバルセロナの駅のホームでスリにあったんです。目の前を通った人が落としたポストカードを拾ってあげたら、その隙にグルである誰かにバックパックを丸ごと捕られてしまいました。幸い、パスポートと小銭程度は身につけていたので無事でしたが、生まれて初めての「スリ」体験は、相当こたえましたね。

こうやって思い返してみれば、旅とは、思いがけない失敗の連続とも言えます。道に迷ったり、何となく入ったレストランの食事がまずかったり、スリにあったり……でも、そうした失敗は、私たちの日常でもいくらでもあること。例えば会いたかった人にドタキャンされちゃったり、正しいと思って発言したことが相手の怒りを買ったり、やる気満々で取り組んだ仕事で失敗したり。旅でも日常でも、失敗は尽きないんです。でも、旅とは思いがけない失敗の連続とすれば、いちいち一喜一憂していたらキリがないし、むしろこうしていつか笑い話になる。だから、日常を旅の延長線上として捉えれば、旅のように日常での失敗も楽しむことができるんです。

 

005.
「What」や「Where」「Why」ではなく、「How」の時代へ

 

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安藤さんのように、ライフスタイルを追求する人は増えていくと思いますか?

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はい。今後は、ライフスタイルが大事なキーワードになると思います。今、「ライフスタイルショップ」なるものが流行していますよね。ライフスタイルショップとは、「衣食住」すべての提案を行うお店のこと。アパレルショップの一角で花を売っていたり、カフェの一角で雑貨や書籍がセレクトされて販売していたりというものが一例です。昨年末に行ったニューヨークの「ACE HOTEL」は、1階のロビーにカフェやバー、セレクトショップもあって、衣食住が一緒くたになった空間でした。

これまでは、カフェはカフェ、洋服屋は洋服屋、書店は書店というように売り場が分かれてしまっていました。実はこれ、私が思うに現在のワークスタイルの弊害のように思います。「経営コンサルタント」とか「Webデザイナー」とか、こうした肩書きはわかりやすく自分をプレゼンテーションしてくれる一方で、時に肩書きに縛られてしまう。他の仕事に興味を持っても、「自分は経営コンサルタントだから……」とか、「Webデザイナーなのにヨガを仕事にしたらおかしいかな」とか、自分でブレーキを踏んでしまいがちです。でも、最近日本にも登場した「ライフスタイルショップ」のように、自分の本業は書店であっても、カフェをやってもいいし洋服を売り場に陳列したっていい。肩書きにはまらず、一人の人間が小さな事業を複数やっていてもいいんです。「小商い」のような形で。そう、これからは「私たちはライフスタイルショップ化する」といっても過言ではないと思います。

 

006.
旅と日常の境界線を壊す、新しい旅のはじまり

安藤美冬さん

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とことんライフスタイルを追求しているんですね。そんな安藤さんは、旅についてどう考えているんですか?

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私にとって、旅は生活の一部です。海外に出ることに対するマインドブロックがないので、旅に出るとは、いつもより少し大きめのリュックサックを背負い、いつも使っているSuicaの代わりにパスポートを持って、いつもより遠い場所へ行くという感覚。つまり旅することは、特別なことではないんです。しかも、最近の仕事の多くは場所を問わなくなってきているので、働ける必要条件さえ揃っていれば世界のどこでも仕事ができる。だから、今どきは、「仕事をするために旅に出た」っていいわけです。シンガポールの「マリーナベイ・サンズ」のプールサイドに座って、原稿を書いたり、Skypeで打ち合わせをしたり、Webの開発をしたって新規事業をつくちゃってもいい。休むためにバケーションをするというのはちょっと古くて、仕事をするために旅に出たり、積極的に移動をするということが今どきの旅のスタイルなんじゃないかと思います。

私は会社員時代、仕事の時に旅のことばかり考えて、旅している時に仕事のことばかり考えていました。これって、中途半端ですごく不幸なこと。でも独立後は、両方を一緒にしちゃえばいいじゃん!と思うようになって。仕事をしながら旅について真剣に考えて、旅で得たことを仕事にリターンできる循環する仕組みを自分で作ることができれば、「この経験を今度の企画で応用してみよう」「仕事でわからなかったことを今度の渡航先で調べてみよう」と、仕事もバケーションもより充実させられるんですよね。日常の延長線上に旅を捉えて、旅の延長線上に日常を捉える。そして、旅と日常の境界線を壊していくのが、新しい旅のはじまりなのだと思います。

 

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。