これだけは知っておきたい「富岡製糸場」
「世界遺産登録」って、なんだかすごそうだけど、実際は、なぜ登録されているのか、何がすごいのか、イマイチわからなかったりします。
でも、ちゃんとその理由がわかれば、見応えもまったく違ったものになるはず。ここで必要な時間は、たったの1分。ワンミニッツで紹介したいと思います。
第一弾は、2014年に世界遺産に登録されて大きな話題を呼んだ、群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」です。
1872年
当時は、世界最大規模
Googleいわく「生糸とは、蚕の繭(かいこのまゆ)から取ったままで、手を加えていない糸」のこと。
明治時代、国内の原料だけで作ることができた生糸の輸出が、外貨を得る最大の手段とされていたそうです。
そこで明治政府が、生糸の品質向上と生産量を高めるべく、西洋の技術を導入して誕生したのが「富岡製糸場」だったわけです。これが1872年の話。
当時、製糸場としては世界最大級の規模を誇ったそう。
ポイントは
遺産群の「群」
世界遺産としては「富岡製糸場と絹産業遺産群」という名前ですが、この「群」がポイント。何気ないこのワードに、世界遺産たるゆえんが隠されているのです。
品質の高い生糸を生産するには、良い繭が大量に必要。そこで「富岡製糸場」と連携したのが、
01. 田島弥平旧宅
換気を重視した養蚕法「清涼育」を体系的にまとめた田島弥平の住居兼蚕室「田島弥平旧宅」。この家が、日本の近代養蚕農家建築の原型となった。
02. 高山社跡
風通しと、湿度や温度のバランスをとった養蚕法「清温育」を確立した、養蚕教育機関「高山社跡」。
03. 荒船風穴
天然の冷気で、蚕種を冷蔵。
この「荒船風穴」のおかげで、養蚕が年に数回できるように。
「富岡式」が全国、
そして世界へ
「富岡製糸場」と、上で紹介した3つの資産の連携によって、見事、良質な生糸の大量生産の技術革新(ブレイクスルー)に成功。日本は世界一の生糸輸出国となり、1930年代には生糸貿易量の80%を日本製が占めました。
当時、欧米でシルク(絹)といえば、希少な贅沢品。
それを技術の力で大量生産し、より多くの人に行き渡らせる役割を果たしたのが「富岡製糸場と絹産業遺産群」なのです。
ちなみに…。
「富岡製糸場」で製糸技術を学んだ女性たちは、地元の製糸工場に戻り、「富岡式」を伝えたそうです。ある場所で技術を学んだ人が、また違う場所で広め、全体としてレベルアップしていく。これぞ、業界の底上げですね。
富岡製糸場は「工業化の原点」と呼ばれることもありますが、現代のビジネスにおいても学ぶべきことが多いですね。
——ちょうど1分、経ったころでしょうか?