フラッシュの光が漏れないよう、細心の注意を払って撮った一枚。
女性として、私は“強制”なんてされたくない。だけど、従わなければいけない。もしも反対したら、それなりの対価がともなうから。
自分自身に、家族たちに、迷惑をかけるつもりは全くない。
だから、言う通りにしているだけで、それを正しいと信じる心なんて、どこにもない。
イランでは、女性はヒジャブを着ることが政府によって義務づけられています。他にも化粧をすることが規制されたり、膝丈まである洋服を着なければいけなかったり。
そんな不平等な社会を訴えるべく、フォトグラファーMarinka Masséusとイラン女性たちは、「自由を表現する写真」と「鮮烈なメッセージ」を発信しています。
身に纏うヒジャブによって
意識する「圧迫感」
Marinkaによれば、イランに暮らす女性はヒジャブを“抑圧のシンボル”と、考えているようです。
学校では、みんな、兄弟であり、姉妹であると教えられました。全ての人は平等であると。でも、現実は異なります。どこにも平等という考えはありません。
なんで、男性のために体を隠さなければいけないんですか?何が平等なんですか?私のために洋服を着てくれる男性はいないくせに。
だからこそ、重力を無視するようになびくカラフルな布を、<自由>に見立てて、Marinkaは作品を撮ったそうです。当たり前だと思われていたことを否定する意味も込めて。
今、イランに暮らす女性は、少しずつヒジャブの着方を変えたり、色を増やしたりしながら、ただの押し付けにすぎない“義務”と戦っているようです。
昨年末には、多くの女性たちが集まり、本当の意味での民主主義を求めるデモが行われました。加えて、#WhiteWednesdayというソーシャルムーブメントも起きていて、イランの女性たちは「選択の自由」を求めています。
私の両親は共産主義者で、Shahの圧政と戦い、そして、Khomeiniに裏切られました。だから、私は心の中に燃え盛る炎を持っています。
2009年の「Green Movement」の後には、たくさんの人が希望を捨てました。
だけど、私は違います。
匿名でありながらも、世界にメッセージを届けようとするイラン女性たちの勇気。それをサポートするために、フラッシュの光が外に漏れないようにと細心の注意を払い、カメラを手に取ったMarinkaの行動力。
僕たちができることは、それを少しでも多くの人に伝えることなのかもしれません。
街を眺めるとカラフルです。髪を出してヒジャブを着けている人もいます。
それは変化でもあり、希望でもあります。
5年前は、政府が求めるような黒かブラウンだけでした。でも、今は、街にたくさんの色があるんです。
私はカラフルなヒジャブを身に纏い、違反だけど、戦う意味を込めて自転車に乗っています。私は自分の人生を生きるし、自分のことを隠しません。
現在のイランには希望があります。