ダンスの可能性を拡張する「IoTデバイス」
写真は、身につけて踊ると音楽を演奏できる、バングル型のIoTデバイス『SoundMoovz』。世界17カ国に40万台を出荷した大ヒット商品だ。
スナップをきかせて腕を振ると加速度センサーが反応し、プログラムされた音がスピーカーから出る。海外で人気を得た後、逆輸入されるようにして国内販売が決定した。
世界最大級の音楽見本市SXSWで披露した次の展開も好評だったそうだ。その成功の秘訣とは?次の展開とは?
開発者にお話を聞いた。
楠 太吾(くすのき だいご)
Dmet Products株式会社 代表取締役
──急展開だったのではないでしょうか。
楠「関西から東京に拠点を移したのが2015年10月。すぐに開発アイデアを出しはじめて、3ヶ月ほどで最初の試作機をつくって、4月頃からは人前に出てデモンストレーションをしはじめて……」
──それが約2年前。
楠「ですね。それからしばらくして、二ノ・サイバーパル株式会社のニコ・ニコリッチさんに出会いました。
彼が試作機をとても気に入ってくれて、玩具業界にコネクションを幅広くもっているエージェンシーを紹介してくださったんです。それが、2016年10月」
それからはまさにトントン拍子だ。エージェンシーを紹介された楠さんは、世界中から玩具業界関係者が集まる場に招かれた。
その後、3ヶ月で試作機を小型化し、2017年1月に香港へ飛ぶと、小さなプライベートスペースで次々と商談がはじまった。
1週間後には、20万台分の契約が成立していたそうだ。
楠「反応が良かったんです。イギリスの玩具会社はとくに話が早くて驚きました。
顔を合わせてから3時間後には、具体的なお金のことや出荷日の話までありました。
工場は抑えていたので量産準備はできると考え、交渉を続けました」
──とてつもないスピード感ですよね。
楠「理由は2つあると思います。
ひとつめは、玩具としてのキャッチーさ。“体を動かした瞬間に音が出る”って、楽しいんですよ。とくに、子どもは大騒ぎして喜ぶ。ダンスカルチャーが日本より身近な欧米となれば尚更。
海外で人気を得て、日本に逆輸入されるかたちで販売開始したのは想定通り。そのほうがうまくいくとはじめから考えていました。
ふたつめは、自分が踊れたことです。ダンサーだったので、商品開発のアイデアは自分の踊りの感覚から得たものでした。音を掴みに行くような感覚を体現できたらおもしろいと思ったんです」
イタリアで撮影したYouTubeのCMによる影響も大きかった。再生回数は420万回を突破。そのほかにも、アメリカ・ヨーロッパのテレビCMで商品が紹介された。
商談では、踊ってプレゼン。撮影では、振りつけを通して意思疎通しながら撮影に挑んだ。
体を動かすと、音が出て楽しい。その魅力をダイレクトに玩具業界や視聴者に伝え、結果的に40万台もの出荷数を実現してしまった。
──どんな苦労がありましたか?
楠「各国へのローカライズは大変でした。言語設定やパッケージのデザインのほか、とくに認証規格をクリアすることが難しかったんです。国ごとに違う無線規格や材料の規定があります。
例えば、この国では〇〇が使えないとか、鉛の含有量が何%以下とか。当時、社員はたったの5人でしたから、なんとかのりきるんだ!って感じで、寝れませんでしたね」
──そのかいもあって、無事世界中にプロダクトが販売されることに。今後はどんな展開を?
楠「国境を超えたダンスバトルをライブでやりたいですね。ビートが流れて、みんな踊って、点数を競う。
例えば、タイミングに合わせて音を忠実に再現できたら点数が高くなるようなオンライン対戦ゲームとか。
世界中のダンサー同士で顔を合わせれば、新しい文化をつくっていけるはずです」
手ですべてを操る
楠「手ですべてを操るって神々しい感じがしませんか?(笑) それを実現してみたかったんです。
もっと発展したら、音楽・照明・舞台装置を動かして、演出をひとりで行えるかもしれません。
指輪型のコントロールデバイスを見たことがありますが、同じ感覚でいろいろなものが動かせる。ウェアラブルっておもしろいですよ」
──業界的に、開発のスピードもどんどん上がっているとか。
楠「無線モジュールやセンサーの価格は、5年前と比べると30%ほどまで下がっていますから。
IoT、音声認識、人工知能、ロボット……、そういったものが、生活を一変させると思っています。モノ同士が繋がり家電が入れ替わる。
もしかしたら、2年くらいでアメリカが統一規格をつくり、少しずつ普及して、10年後には今あるものがクラシック・ガラパゴスみたいに捉えられているかもしれません。
──次につくりたいものは、どんなものですか?
楠「『SoundMoovz』は、体を動かせるし、直感的で楽しいので、福祉施設から問い合わせをいただくこともあるんです。
もともと機械系の大学を卒業して堅い大企業に就職したんですけど、とにかく自分の手で何かをつくりたいという気持ちが強くあって、すべての人に平等なチャンスがあるような環境をつくりたいという夢もありました。
それが教育なのか、ネットワークの技術なのかはわかりませんが、今はそのためのステップアップでもあるかなと思っています」