【ラブリ】いま、僕らが“旅”と言っているもの vol.7

AirbnbやUberなどによって発展したシェアリングエコノミー。InstagramやFacebookなどによって多様化したコミュニケーション。

テクノロジーの発展は、言葉の概念すらもアップデートしたのかもしれない。

移動が当たり前になった「日常」
変わり始めた「非日常」

© 2018 Koki Yamasaki

日常の延長線上に旅があるという考えのもと、ファッションモデルのラブリさんとTABI LABO代表の久志尚太郎は、『いま、僕らが“旅”と言っているもの』というテーマで話を進めてきた。

最終回となる7回目の対談には、新たな発見があるはずだ。

<前回の記事はコチラ>

旅先でも“馴染む”感覚を
得られるようになった

久志 去年、フィンランドとエストニアとイタリアに超弾丸の旅をしたんだ。目的が明確だったから楽しかったよ。しかも、見たかった景色ではなくて、欲しかった体感が得られて。

この間、ラブリちゃんが行った台湾はどうだった?

ラブリ 自分の着ているいつもの服が、違う国で馴染んでる体感があったの。服に匂いがしみついてる!みたいな。

ラブリ パリに行ったときによく着ていたコートがあるんだけど、クローゼットを見たときに思い出すわけ。「これ、パリに連れていったな」って。これは服自体が体感していることだから、そういう意味では体感という言葉もひとくくりにはできないのかも。

久志 僕は熱量にあると思ってる。サウナに行ったとしたら、どういう気持ちになるのだろう?とか、どうやって“ととのう”のだろう?とかを想像する。それが知りたかった。

ラブリ その体感にプラスマイナスはないでしょ?

久志 そう。がっかりするのは悪いことじゃないから。心地よさを自分の中に取り入れていく感覚。

ラブリ うん、わかる。旅先で新しい服を新調するのもいいけど、いつもと同じ洋服で違う景色を見ている方が馴染んでる気がする。慣れた服だから心地よさもあるし。

久志 だから、「暮らすように旅をする」も馴染むって感覚に近いよね。

有名なラーメン屋に行くよりも、隣のおっちゃんと色々なことを話しながら食べたラーメンの方が馴染んでるし、記憶に残ると思う。アンコールワットに行って写真を撮るだけだと、馴染んでないし“非日常”にもなっていないんだよ。

ラブリ なるほどね。なんかわかる気がする。

久志 実際にアンコールワットを見たとしても、馴染んでいないなら、それは日本で見ているのとイコールだよね。それはまだ日常で、非日常になってない。

ラブリ アンコールワットで馴染んでる自分は“非日常”を体感しているってことだよね。

久志 そう。アンコールワットを東京からSNSでよそ者として見ているのと、カンボジアに行ってもよそ者として見ているのとでは一緒なわけ。物理的に移動してたとしても、やってることは変わってない。

だから、目的がなく誰かと話しているときの方が馴染んでるし、記憶に残るんだよ。そこで初めて“非日常”になる。

ラブリ “非日常”の定義が少し違ったんだね。

久志 今までは、普段とは別の場所に行くことが非日常だったけど、もうすでに行くこと自体は日常になっている。そこに馴染めるかどうかが、日常と非日常を分けるポイントなんだと思う。

いま、僕らが“旅”と言っているもの
【Contents】

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。