レブロン・ジェームズの学校――ベンのトピックス
みなさんはバスケットボールは好きですか?ロンドンの僕が育った地域では、バスケはまったく人気がありませんでした。イギリスではサッカーやラグビー、陸上やボクシングのほうがはるかに人気の高いスポーツなのです。ただ10代のころから193cmという長身だった僕は自然とバスケのプレイヤーになりました。
ロンドンでの人気がイマイチとはいえ、他のスポーツと同じようにバスケにも強いコミュニティがあります。例えば、ボールを持って一人でコートに立っていると、すぐに人が集まってきて一緒にプレイを楽しめます。
当時、僕が一緒にプレイしていた仲間たちは、僕と似た価値観を持っていましたが、その半生は自分とはまったく違う人たちが多くいました。その違いの正体は社会的、経済的背景によるものです。そう、彼らの多くはアフリカやカリブ海の地域、あるいはインドなどのバックグラウンドを持っていたのです。
レブロン・ジェームズも決して
裕福ではありませんでした
イギリスのバスケ好きの多くが、マイノリティとされる人たちであることは、偶然ではありません。他のいくつかのスポーツに比べて、バスケはボールさえあれば(ゴールもあったほうがいいけど)楽しめる手軽なスポーツだから。もちろん、イギリスでは同様にハードルが低いスポーツとしてフットボールがありますが、例えばNBAのレブロン・ジェームズに憧れるアフリカ系イギリス人は少なくないんです。
レブロン・ジェームズ――バスケにあまり興味がない人でも、名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃないでしょうか。203cm、113.5kgのレブロンはバスケ界のスーパースターです。昨年の『Forbes』によると、バスケ選手としては収入第1位、スポーツ選手としても世界で6番目に稼いでいる人物となっています。もちろん選手として優秀であることは言うまでもありませんが、彼はコートの外でもパワフルです。
多くのコマーシャルに出演し、ビジネスにも精通、さらに投資にも長けています。そして、地球規模の問題について幅広い意見を提示するオピニオンリーダーでもある。トランプ大統領を「向かい合って座りたくもない」と批判していたのも記憶に新しいところです。
意欲的なレブロンは、決して裕福ではない家で育ちました。生まれはオハイオ州アクロン。彼を産んだ時、母親はまだ16歳でした。レブロンの成功の影にはおそらく、彼自身のモチベーションのほかにこの母親のサポートがあったと想像します。
I Promise School
クリーブランド・キャバリアーズからLAレイカーズへの移籍を発表した昨年、今の自分を作り上げてくれた場所に何らかのかたちで恩返しをしたい、とレブロンは心に誓いました。
彼は低所得者層の“危険にさらされている”子どもたちを対象とした、新しい学校を設立することに決めました。レブロンはこの学校を「I Promise School(IPS)」と名付けました。彼の名言である「自分がどこから来たのか決して忘れない」ことが、この学校が彼の故郷アクロンにある理由です。
この学校は、1学年から8学年までの子どもたちを受け入れ、さまざまなサポートをしていきます。
授業料は無料、制服も無料、学校から2マイル以内での送迎も無料、またアクロン大学の授業料の保証、GED(アメリカの高等学校卒業程度認定試験)や就職の支援などを提供すると発表し、全米のメディアで見出しを飾りました。
僕がユニークだと思ったのは、自転車の貸与が無料であることです。
レブロンは無名だった頃、街中で自転車を乗ったり、バスケのコートまで自転車で通ったことが、自身の成長につながったそうです。その体験をいかしたサポートといえるでしょう。
なによりも素晴らしいのは、レブロンが心の底から自分と同じ状況で育った子どもたちの生活水準を向上させることを望んでいることです。大富豪の彼がさらに資産を増大させたり、自身の富を3人の自分の子どものためだけに費やすことは簡単でしょう。
しかし、レブロンが心配しているのは、地元アクロンが抱える問題であり、アフリカ系アメリカ人が対峙する社会問題であり、そしてトランプ政権に関わる政治的な問題なのです。
今、IPSは元大統領夫人ミシェル・オバマなど、多くの人々から支持を得ています。
トランプの時代だからこそ、とくにレブロンのような人が名声と富を活用して、人々をサポートしてくれることは、素晴らしいと僕は思うのです。
Top image: © Ethan Miller/Getty Images