37年かけて作った「日本のコーヒー」が、島の人たちを繋いでいく——徳之島・吉玉農園

こんなに「たくさんの種類」が
見られるのは、徳之島だけ

©2019 ETSU MORIYAMA

ところで吉玉さんが先駆者となっている徳之島コーヒーの最初の苗木は、どこからやって来たのだろうか? それは、おとなり奄美大島の、宇検村という村。苗木を探して沖縄〜石垣島などを回り歩いたが見つからず、そんな時に最終的に宇検村の友達が「俺んとこにあるよ」と教えてくれて、100本ほどもらってきたのだそうだ。

宇検村は、戦前にブラジルへ移民した人が多かった場所。その世代が年をとって島に里帰りした時に、「ティピカ」というコーヒーの木の原種に近い種の木を密かに持ち帰ってきていて、自分たちの庭に植えていた。その木がほったらかしにされて、自然に育っていたというわけだ。

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コーヒーの花が咲くと、谷間状になっている吉玉さんの畑には、花のいい香りが一面に充満するという。

 

現在吉玉さんの畑では、モカやブラジルから来たムンドヌーボのブルボン、グアテマラのカトゥーラ、コロンビアのタビ、コロンビアのカスティージョ、ティピカ、コスタリカなど、7種類のコーヒーの木が育てられているが、他にも数種類、別の種を育苗し、何が一番島に合うのか、美味しさや栽培しやすさも含めて模索している。

 

「中南米では、ものすごい山の上の傾斜地で作るんだけど、徳之島はわりと平地で作れる。四季があるのも利用して、夏に成長させて、冬で実を硬くする。この“寒さ”が、コーヒーの味にこの土地の特徴を出すのではないかと思っています。収穫は、1月〜4月くらいですね」

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種まきから5年後に出るであろうデータを検証しながらその先を考えていく。根気のいる仕事だ。

 

ハウスを使った育苗も1000本ほど進めているが、そこから先は生産者だけでは人手が足らないので、会員の他に障害者支援施設に栽培の手伝いをお願いし、育ったものをまた生産者会で買い取るというシステムを構築中だ。

 

「コーヒーの栽培は、植え付けと、小さいうちの管理だけが大変で、収穫はそんなに大変じゃない。楽しい仕事なんよ。とにかく真っ赤や真っ黄色になったやつを積んでいけばいいから、子どもでもじいちゃんばあちゃんでもできる。収穫体験は楽しいよ〜。みんな喜んでやってくれる」

 

かつて吉玉さんが、他の熱帯植物ではなく、コーヒーの栽培をメインに選んだ理由は、こうして島のいろんな人たちが生産に携われるものだから、というのもあるのだ。

規約を作って、お互いに研究しながら知識や技術をわけあって、機械を持ってる人は貸し合う。「オール徳之島」でやっていくことが、コーヒー栽培が島の産業になり、みんなが幸せになる一番の近道だと吉玉さんは思っている。

 

「今までの農業界全体のよくなかったところは、技術を抱え込んでしまうところ。自分さえよければいいとなってしまうと何も進まないし広がらない。この島でコーヒー栽培に携わる者には高齢者もいるし、障害者もいる。徳之島コーヒー生産者会、伊仙町経済課、丸紅、AGFの4者が協力してやっていくプロジェクトも始まった。苗やタネ、海外の技術や機械、いろんなものをサポートしてもらいつつ、“みんな”で協力しあいながらやろうと思ってる」

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生産者会のロゴマークは、コーヒーカップの中に徳之島の形が浮いたデザイン。

 

生産者会では定期的に勉強会を開いたり、島の若者が跡を継いでくれたら、という思いから地元の高校で体験実習も行っているそうだ。コーヒーの木の栽培を通して、徳之島の農業の未来を考える機会になるし、体験をした子たちの中から、次の代を継いでくれる人材が出てきたらいいなあと、吉玉さんの夢は膨らむ。

 

「それにしても、こんなにたくさんの種類のコーヒーの木が集まっている場所は、世界的に見てもない。貴重だから、勉強もできるコーヒーのテーマパークのようなものを作ってもいいんじゃないかと思ってるんです」

 

それも実現したら、すごくおもしろそうだ。

生産者が初めて飲んだ
「自分のコーヒー」の味

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徳之島のコーヒー生産者支援を表明したAGFの援助もあり、設備投資も進んでいる。2018年には、豆の加工場が作られたのだが、これが大変な活躍ぶりだ。コロンビア製の脱穀機はパルパーといって、収穫したコーヒーチェリーの果肉と種を分ける機械なのだが、以前の手動式パルパーに比べ、処理能力は10倍にアップしたという。

合わせて、さらに種を殻と生豆に分ける脱穀機も導入された。

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果肉と種を分ける機械、パルパー。

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種の殻をむく機械の説明をする吉玉さんと、それを見守るゴマ(写真左下)。

 

「機械が導入される前は、一個一個手で剥いてたよ。1キロ分の作業でも、それは大変だった」

 

話から想像するだけでも疲れる作業風景。コーヒーは、実を収穫できたからといって、他の果物や野菜のようにすぐ口にすることはできないのだ。こうして生産者の仕事を知ると、いつも気軽に飲んでいたコーヒー1杯の重みが変わってくる。

貴重な生豆も見せてもらった。豆は動きもしないし、喋りもしない。それでもここまで伺ってきた歴史に思いを馳せながら見つめると、いろいろ感じてなんだか少し、ジーンとする。そっと鼻を近づけたら、生豆の入った袋の中からは、ふわっと甘い香りがした。

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殻を抜くと中からグレーベージュの生豆が現れる。この作業も一つ一つ手でやっていたとか……。

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生豆は、欠点豆などを選別したのち、焙煎される。

 

ただ飲むだけの人間がここまで感じるんだとすれば、吉玉さんはどうなのか。自らが何年もかけて育て、精製し、焙煎した「1杯目のコーヒー」って、一体どんな味がしたんだろう?

 

「初めての豆はフライパンで炒ったんだ。焙煎するのにも器具がなくて。けどものすごい生臭くなって美味しくできなかった(笑)。そこで、奄美大島の名瀬にある“アラジン”っていう自家焙煎の珈琲屋のオーナーに焙煎を頼んだんだけど、自分の深煎りに耐えられたらこのコーヒー豆は本物だって言われて、そこから4年目で初めて彼の焙煎に耐えられた。だから、初めて収穫できてから4年目で、やっと自分の豆のコーヒーが飲めたんだよ。味というか……嗚呼、これが俺のコーヒーかって感じだったな」

 

嗚呼、これが俺のコーヒーかって感じ。言葉にできないそれは、彼にしか味わえない特別な味だ。

 

現在豆の焙煎は、自宅で吉玉さんが手がけているが、ゆくゆくは、若い世代で焙煎が得意な子に任せたいと思っているそうだ。焙煎した豆は、毎日同じ島内の犬田布岬で奥さんの道子さんが営む自家焙煎珈琲の店「スマイル」に持って行く。そこでは、一杯ずつハンドドリップで淹れてくれるコーヒーを、通年飲むことができる。

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ストーリーを知ってからの一杯の美味しさはひとしお。

 

「俺は毎年コーヒーの収穫が終わったら、木の根元に鶏糞を撒いてこの後も大きくなってくださいねとやっているんだよ。これは“御礼肥(おれいごえ)”といって、収穫のお礼に樹木に追肥することなんだけど、日本人独特の考え方。

他の国でも同じようなことはやるんだけど、“御礼”という言葉は使わんわな。作ってやってると考えるから。日本人は、作らせてもらっているとまでは考えないかもだけど、お礼はせんといかんと考えるんだね。お世話になったところには」

 

いい発想やな、俺は日本人のそういうとこ、好きやけどな、と話す吉玉さんは、人にも植物にも、義理堅い。吉玉さんは他にも、コーヒーの歴史や豆知識を私たちにたくさん教えてくれた。何度も繰り返した「コーヒー作りはおもしろいよ」という言葉と共に、彼のワクワクは確かに私にも伝染した。

そんな吉玉さんのコーヒーを飲む方法は以下の2つだ。

 

1、徳之島の「自家焙煎珈琲 スマイル」に行く(通年)

2、東京世田谷のカフェ「グラウベル」さんに行く(年一回、次は2020春の予定!)

 

国産コーヒーは生産者の味がする。

吉玉さんのコーヒーは、みんなで手を繋ぐような安心感とまろやかさが口いっぱいに広がる。それはきっと人情の味だ。

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Top image: © 2019 ETSU MORIYAMA
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