37年かけて作った「日本のコーヒー」が、島の人たちを繋いでいく——徳之島・吉玉農園
台風は多いし。
夏は暑すぎるし。
中南米に比べて寒暖差は大きいし。
日本でコーヒーを栽培するのは、とっても大変なことだ。奄美群島のひとつ、徳之島も例に漏れず。
そこでもう37年コーヒー栽培を続けている吉玉誠一さんに話を聞きながら、単純に湧いて来たのは「大変だとわかっていながら、しかも現に失敗しながらも、なぜこの日本でコーヒーを栽培し続けて来たのか」という問い。
「島に恩返ししなきゃと思ってたからね。ここで諦めたら俺は何のためにここにいるんだって思ったから」
その“恩返し”の理由を聞いた時私は、コーヒーとともに、それが作られている場所、徳之島のことがまた一段好きになったのを覚えている。
やり続けていると
「先」が見えてくる
「もともとはブラジルに行って、熱帯地方の作物を育ててみたかったんだ」
と言う吉玉さんだが、家族の反対などもあってそれは叶わなかった。徳之島に移住して、初めはサトウキビ刈りの仕事に雇われていたのだが、休憩時間にキャッサバが一本だけ生えているのを見つけた。
キャッサバ? ああ、アレだ。今日もどこかで女子高生がすすっているであろう黒いツブツブ、そうご存知「タピオカ」の原料になる作物である。そのキャッサバは、戦後の食糧難の時期は食料として重宝され、人々を救っていたのだという。
「でもその後生活が豊かになっていくにつれてキャッサバも忘れられていった。それを見つけたわけです。キャッサバが育つんだったらこの島はなんでもできるって思った」
キャッサバは、メキシコとブラジルの国境あたりが原産地だと言われているそうだ。だからこの作物が育つのであれば、近い条件で育てられているコーヒーの木も育つかもしれない、育ったらおもしろそう。そんなふうに思って、吉玉さんはコーヒー栽培をスタートさせたのだ。
これがキャッサバの木。根っこにできる芋があのタピオカの原料。
「農業の技術は、実家が農家だったから、米を作ったり牛を飼ったりするノウハウはじいちゃんにみっちり仕込まれたけど、果樹系はみかんくらいしかやったことがなかったよ。ブラジルに行きたいと思ってた時に、図書館などに行って全部調べて、だいぶ頭の中に入れた。だからそのあとコーヒーを育てることになったけど、そんなに難しくないと最初は思ってたね(笑)」
しかし25〜6年前、大きな台風が徳之島に連続して3つくらい来て、ほとんどの木が倒されてしまった。
「この時が一番大変だったな。しょうがないから出稼ぎにも行ったし、島の栽培仲間も、台風の被害に遭って意欲がなくなって、何人もやめたよ。でも諦めないでやったのは、コーヒーが好きだからだね。それと、縁があって徳之島に移り住んでから、こっちのじいちゃんばあちゃんが自分の子どものように本当によくしてくれた。血縁も何にもない人たちよ。その人情の厚さに参ったというかな。それを裏切ったら俺は人間じゃねぇやって思った」
その人たちに、なんとかして恩返ししたいと思っていたし、自分たちを受け入れてくれた島全体へのお礼返しもしたかった。それには何がいいかと考えて、一番いいのは自分がその時にやっていたコーヒー栽培を続けて、発展させていくことなんじゃないかと吉玉さんは思ったのだ。
「榎本武揚という人が、ジャワから小笠原にコーヒーを持ち込んだところから、日本のコーヒー栽培は始まったんだよ」
それでもコーヒーは育てるのに時間がかかるし、生育環境は決して優しいわけではないし、普通の野菜や果物を作るのと比べて辛抱強さが必要だ。40年近くもの歳月を諦めずに続けて来られたのは凄いこと。
「今はようやく形になってきたから。あとは木の本数を増やしていって、たくさんの人にコーヒーが届けられるようにしたい。それから、次に続いてくれる人たちがコーヒーの木だけで食べていけるようにいろんなことを整える時が今。徳之島コーヒーの生産者会も立ち上げた。それぞれが知恵を出し合って、徳之島にコーヒー栽培を定着させる」
やり続けていくと、先が見えてくる。自身でも経験したような悲しい結末にならないためにどうすればいいか、というのも考えられるようになる。それには、時間と経験が必要だった。吉玉さんは、今はこの段階にいる。
「ここまで母ちゃん(奥さん)には苦労かけたけど。今も苦労かけっぱなしだけどな」
周りの人たちに支えられて、一歩一歩、ようやくここまで来たのだ。
人の「命」になるものだから
嘘をつかず、正直に作る
「食べ物とか飲み物というのは、人間の体に入って命を作るものだから、いい作り方をせんとダメだ」
というのが、吉玉さんと、生産者会メンバーの想い。
吉玉さんが会長を務める「徳之島コーヒー生産者会」では、まず、それぞれが作っているものは、どんなものを、どのように作っているか全て説明ができるようにしている。それから、農薬・化学肥料は使わない。だから除草剤はまかないで雑草は生やし、伸びたら切り込んで木の下に敷いていく方法をとっている。
「生産者みんなで、お互いが納得できる方法を模索しながらやっていく」と話す吉玉さん。
「2018年の台風24号は、瞬間風速67メートルのとてつもなく大きな台風で、木が倒された。そういった場合に、もし仮に若い木がやられて全滅しそうになってしまったならば、その時は、化学肥料を使って救えるならば1回だけ使いなさいと言っている。ただし、使ったからにはどんなものをいつ頃、どういう形で何のために使ったか明記しなさいとも。トレーサビリティ(生産履歴)をしっかり開示していこうということでやっています」
今、世の中の多くが選ぶのはこうした生産者たちが手がけたもの。時間と手間のかけられた、この「安心感」だ。
とはいえ、あまりガチガチに生産方法を縛りすぎると、生産者がついてこられなくなる。
「農薬や化学肥料の代わりに、有機肥料を使おうということにしたんだけど、昔の日本の中にある有機栽培農家の規定には、生産団体が示した有機肥料しか使っちゃいけないというのがあった。でも、島ではそれが手に入らない場合があるし、無理やり手に入れようとするとものすごい割高になってしまう。だから、あまり縛りすぎず、島にある有機肥料でいけるんであれば、自分たちはこれがよかったから使っているよと開示すればいいじゃんということにしてきたんです」
畑の中を歩きながら、「なんだか今年は成長が早いなぁ〜」と、温暖化の影響をうかがわせるつぶやきも。
緑肥として、「ソルガム」も育ててる。ソルガムはイネ科の一年草で、成長すると150センチほどになるので、夏の間は台風の防風壁になってくれる。そのあとは刈り取って、木の下に敷き、緑肥に。このように発想次第では、わざわざ外から持ち込まなくても、ここで育てたものを肥料にできるのだ。
「有機肥料認定には手間とお金がかかるから、いいものを作っていても、小さな企業ではできないところもいっぱいあるんです」
今のところこのスタイルでうまくいっており、虫害、鳥害、獣害、は全くなしだという。
吉玉さんの軽トラックの下で休憩中のゴマ。
ちなみに吉玉さんのところには、「ゴマ」という犬がいる。
「ゴマはもらってきたわけではなく居着いた犬。台風の日に、ちっこい体でブルブル震えてたから、なんとなく面倒見て。それからずっとうちにおります。今では偉そうにしております」
取材中も、ピョコピョコと楽しそうに、ずっと吉玉さんのあとをくっついて回っていた。前にハブを見つけて教えてくれたこともあったそうだ。もしかすると、吉玉さんの畑の平和には、ゴマも一役買っているのかな?