80年代に生まれて今も進化し続けているもの、なーんだ?

バブル以前に生まれ、今も現役で活躍する逸品たちのルーツ。進化し続けてきたモノの今と昔を見比べてみよう!

01.
“高音質化”を徹底追求!
ソニー「ウォークマン」

現時点で最高級といえるウォークマンの機種は「NW-WM1Z」と「NW-WM1A」だ。前者は、本体が重くなることを厭わずに、音質にこだわった素材を採用している。

「高音質で音楽を楽しみたいというニーズは、今後も途切れないと思います。そういった熱心な方に向けたモデルとして、音には徹底的にこだわりました。かつてウォークマンを愛用した人はもちろん、音楽を聞くのはスマホで十分という人にもぜひ試してみてほしい」と、ソニー広報・沼田嶺一氏。

初代「TPS-L2」発売当時の評判は
イマイチだった!?

1979年に生み出された初代ウォークマンは、それまでは当たり前だったテープレコーダーの“録音機能”を棄て、ステレオ再生を可能にした攻めのプロダクトだった。社内では心配する声が多く挙がったそうだ。不安は的中した。

メディア向けの発表会でも反応はふるわず、発売された7月は初回出荷台数3万台のうち、3,000台しか売れなかった。

「営業の担当者たちは、TPS-L2を持って人通りの多い場所に向かったそうです。自らが広告塔となり、多くの方に商品の魅力を伝えた取組がうまくいき、8月の終わりには初回出荷台数を完売。その後も生産が追いつかなくなるほどの人気を博しました。新たに開発した小型・軽量化したヘッドホンをセットにして販売したのもヒットの要因だと考えます」

40年以上のブランドヒストリーを持つウォークマンは、いまも攻めの姿勢で音質を追求している。そんなものづくりの歴史は、常識を覆す発想と営業担当の地道な努力からスタートしていた。

02.
最新技術と古きよきデザインの融合
シチズン「クラブ・ラ・メール」

今の若者や次世代に時計本来の魅力を伝えたい。そんな想いから、1984年に登場したウォッチブランド「クラブ・ラ・メール」が復活した。1997年に最後のモデルの生産が終了し、残念ながら表舞台から姿を消してしまったが、それから40年間培ってきたシチズンの技術力と生産力で生まれ変わった。

40〜50代の人からも多くの反響があったと仕掛け人の村本甲亮氏。

「裏蓋のガラス張りのシースルーバックや、一部のモデルの文字盤に設けた小窓から機械式のムーブメントを眺めることで、腕時計の歴史や長年培われた技術に触れていただき、その魅力やおもしろさを体感してもらいたい」

灯台が照らす光で
海を進んでほしい

ラ・メールは、フランス語で海を意味する。込められたメッセージは、発売当初から変わっていない。シチズンは当時、中高生に向けたジャンクション、大学生に向けたライトハウスというブランドを手がけていた。

「中高生が出会いを経て大学生になり、その先には社会という名の海が待っている。灯台が照らす光で海を進んでほしい」

急激に時計の電子化が進んだ70年代、時計は技術革新が続き、エレクトリックなデザインが増えていった。80年代になると、アンティークブームの後押しもあり、あえて時代に逆行したトラッドかつクラシックなデザインが新社会人を中心に絶大な人気を呼んだ。

「50年代や60年代の流行を取り入れようとしても、技術力がなければ実現するのは難しいと思います。大量生産できる環境も不可欠です。時計の機械をつくるラインを約40年にわたって維持しながら、つねに品質やコストパフォーマンスの改善を行ってきました。手前味噌ですが、価格以上の品質があると自負しています」 

03.
世界に一台のパートナー
ブリヂストン「アンカー」

「日本人に向けて、スポーツサイクルを作り続けてきた強い自負もあります。海外の選手やメーカーに憧れを持つ方は大勢います。もちろんそれもいいのですが、大柄な外国人向けにつくられているので、日本人には合わないことも多くて」と設計課長を務める春日仲敏氏。

「アンカー」のフィッティングシステムは、乗り手の体格やスキルに合わせたサドル位置、ハンドル幅、ステムの長さなど、マシンを構成するパーツを組み合わせて、理想のポジションを導き出してくれる。カスタマイズオーダーシステムの源流は、1974年に生まれた「ロードマン」だ。

オーダーメイドよりも価格を抑え
自分に合ったカスタマイズができる

80年代のブリヂストンを代表する名車「ロードマン」は、自分に合ったフレームや変速段数、カラーリングを選べるチョイスシステムを採用しヒットを記録。他社もこれに追従し一世を風靡した。

アンカーには、そのほかにもクロモリ素材を最大限にいかす「ネオコットフレーム」など、ブリヂストンサイクルが往年の名車を生み出す中で培ってきた数々のアイデアや技術が盛り込まれている。最速を求める競技用モデルの素材は、現在カーボンが最適と考えられているが、ブリヂストンのクロモリフレームは、素材の最高性能を引き出すネオコットフレームの技術によって、今もその輝きが失われていない。

04.
87年製のレンズやアクセサリーが
最新モデルでも稼働するキヤノン「EOS」

キャノン「EOS」には、30年間変わらない設計思想がある。

「快適、最速、高画質というのが、EOSシステムの開発コンセプトです。当時から30年後を見据えていたかはわかりませんが、最後発になっても完全電子化を採用したことで、21世紀のデジタル化の波を乗り越えられたと思います」と、キヤノンの笠松氏。

「一眼レフ」を
マニアだけのものから一般家庭へ

「EOS」のルーツとなる名機「AE-1」が76年に登場するまで、一眼レフはマニアだけのものだった。キャッチコピーは“連写一眼”。一般家庭へ浸透するきっかけをつくった革命的プロダクトだった。

それから電子化が進み、キヤノンは「EOS(エレクトリカル・オプティカル・システム)」を87年に発表。いま使える87年生まれのPCがあるだろうか、と考えると驚く。

05.
80年代、クルマにワクワクした
あの気持ちをもう一度。トヨタ「カムリ」

2017年1月に公開された新型カムリ(米国仕様)は、トヨタが推進している新しい車づくり「TNGA(Toyota New Global Architecture)」に基づいて開発されている。

高い走行性能と環境性能を両立させた新開発「ダイナミックフォースエンジン」を搭載し、重心を低く、剛性も強化。走りや乗り心地など基本性能をさらに鍛え込み、環境性能や安定性を高めていくことで、数値では表せない価値を生むという。 

2017年夏頃に日本で発売予定のカムリについて「クルマとしては、エモーショナルで美しいスタイルや、意のままの走りを実現していると思っています。」と、トヨタマーケティングジャパンの大澤あつみ氏。

地味だった?いやいや、
その存在感に注目したのはアメリカだった

1980年代。クルマを所有することがステータスで、デート用のBGMのためにカセットテープでマイベストをつくっていた時代に高級スポーツセダンとしてセリカカムリが発売された。セリカが外れてからのカムリは、海外生産も始まり、アメリカを中心に海外で大ヒットした。国内では、マークⅡ、クレスタ、チェイサーなどと比べて地味な存在だったかもしれない。

そのカムリが、ガラリとキャラクターを変え、スポーツセダンへと変貌を遂げていた。 

「80年代は、スポーツカー、スペシャルティカー、そしてデートカーなど、さまざまなジャンルのクルマがあったと聞いています。そんな時代に青春を過ごした方々が、大人になった今、新型カムリに乗ってもう一度ワクワクしていただけると嬉しいです」

夏の発表が楽しみだ。

「80年代」が、今アツい!

これらは、創刊30周年を迎えるSPA!のムック本「昭和男のための80’s青春特大号」で紹介されているプロダクト。昭和生まれには懐かしさを、平成生まれには新鮮さを感じさせる話題が満載です。