大人になっていつのまにか食べなくなった「みかん」が、いま猛烈に食べたい。
小さいころは、それこそ親に止められるくらい、手が黄色くなるくらい、段ボールが空っぽになるくらい、たくさん食べていた「みかん」。
だけど大人になって、ひとり暮らしを始めて、いつのまにか「みかん」のない生活になってしまった。こたつの定番だったのに、気がついたら “当たり前すぎて、特別ではない存在” になってしまった。
でもそれは、本当の意味で「おいしいみかん」に出会ってなかっただけかもしれない。
愛媛県の西、佐田岬の付け根に「八幡浜」という街がある。ここで生産される「日の丸」「真穴(まあな)」「川上」という3つのブランドは、東京大田市場の価格相場を決めるプライスリーダーだ。つまり、ここから日本のみかんの価格が決まっていくのだ。
ちなみに、「やはたはま」ではなく、「やわたはま」と読むので、覚えておきたい。
「本当においしいみかん」を
知っている大人になりたい。
30歳をすぎたあたりから、身近な食材の「最高品質」のものを味わいたい、という欲求が強くなってきた。最高の卵かけごはん、最高の梅干し、最高の果物——。
そう、日本には僕たちがまだ味わったことのない「最高」がたくさん眠っていて、八幡浜のみかんも、まさにそんな存在だ。
僕は、そんな日本の大地が生み出す「本当の味」を知りたいし、それは高級だから、とか、珍しいから、という意味ではなく、それこそが「大人になる」っていうことだと思うから。
決して、みかんを甘くみてはいけない。…いや、すごく甘いんだけど。
想像を超えるようなバランスで甘みと酸味が詰まっていて、ジューシーで、ぷりぷりの、おいしいみかんが食べたい。
泣けるほどの
「原風景」で育つ。
もちろん、おいしさにはワケがある。
リアス式海岸や、標高300mまでつらなった段々畑には、太陽の恵みが「これでもか!」と降り注ぐ。空、海、石垣、さらにみかん農家のさまざまな工夫と手間によって存分に光を浴びたみかんは、最高の仕上がりになる。
その景色は、たとえ初見だとしても、どこか懐かしい日本の原風景を思わせるものだ。
「あぁ、こんな土地で育ったなら、おいしいに決まってる」
そう思わせるには十分だ。真穴で聞いた、みかんのおいしさと夕暮れのきれいさが衝撃的だったという理由だけで移住を決意した人がいる、という話にもうなずける。
—— そして11月になると、その景色は鮮やかなオレンジ色に染まる。
人を惹きつける
八幡浜の「みかん」
11月〜12月は、1年の集大成だ。
畑のように何種類もの野菜を育てているわけではない。「みかんの里」にとっては、みかんがすべてだ。
この時期に合わせて、農作業アルバイターの募集も始まる。リピーターも多く応募者も増え続けていて、今年は250人にもなるらしい。廃校をリノベーションした施設や古民家を有効につかい、みかんの収穫に必要な人手を確保する。
大自然に囲まれて働くのは癒される…なんて言うと安っぽいけど、コミュニティが魅力的じゃない限り、リピーターになんてならない。
八幡浜みかんが栄えたのは、その栽培に適した気候があったからだけではなく、人を惹きつける魅力が存分にあるからだろう。
農家の方の人柄、驚くほどきれいな海と空、そして、おいしいみかん。
1年を通して、愛媛→沖縄→北海道をアルバイトリレーしながら過ごしている人もいるという。自分自身も20代のうちに、そんな時期があっても良かったな、と思う。
はやく、11月になれ。
やっぱり、僕自身がいつのまにか「みかん」から遠ざかっていたし、本物の味への探究心が薄れていたことも、なんてもったいないことをしたんだろう、と後悔してしまう。
本物はいつでもその土地にあったし、その味を生み出す人たちも、脈々と伝統を引き継いでいた。
この冬は、子どものころ大好きだったみかんを、もう一度好きになるチャンスなのかもしれない。
僕はいま、早く11月になれ、と思っている。八幡浜のみかんが、猛烈に食べたい。
写真協力:写真集『真穴みかん(写真・広川泰士 企画:佐藤卓)』より