スパイスの香りに誘われて、鎌倉・築100年の古民家へ。
写真は、鎌倉・極楽寺に建つ築100年の日本家屋。板の間や大黒柱に年輪のように染み付いた白檀や沈香の薫り……を外見だけで連想してしまう。
はじめて訪れた場所なのにどこかノスタルジアを覚えたり、DNAが反応してしまうのは、こうした「におい」に起因するところが大きい。
ところが、ここ「アナン邸」にいたっては、その香りがカルダモンやクミン、ターメリック、あるいはフェンネルといった重層的なスパイス香に取って代わる。視覚と嗅覚に起きたこのギャップに、瞬間、自分がどこにいるかさえ分からなくなった。
古民家で試作する
日本の食卓に合うスパイスカレー
先に断っておくと、アナン邸はインド料理店の類ではない。つまり、ここを訪れても残念ながらスパイスの効いたカレーにありつくことはできないのだけれど、月に1度だけ、ごく限られた人たちを招いての試食会が行われている。
スパイス商アナンのオンラインサイト「Internet of Spice」のレシピ開発がその日にあたる。
大きく開け放った縁側の窓の向こう、ていねいにバットに並べられた野菜、鶏肉、そして色とりどりのスパイス。それらを手際よく撮影していくと、食材はキッチンへと運ばれていった。
テンパリング(油でスパイスを熱すること)されたスパイスの香りが、部屋中に充満し、お腹の底がぐっと鳴りだした。
スパイスは、
おいしい料理の立役者
「スパイスは映画に喩えるならば名脇役」
こう表現する鎌倉育ちのメタ・バラッツは、アナンの三代目。祖父の代に創業し、本格的なインドカレーを日本人に合うよう、優しく紹介してきた父、そして独自にブレンドしたスパイスで出張料理やワークショップを通して、人と地域をつなげているのがバラッツだ。
主役(食材)を引き立て、ときに掛け合わせで生き生きと変化する。香りや効能を考えながらブレンドしたカレースパイスは、注文を受けてから袋詰めされるため、香りも風味も損なわない。
バラッツの情熱に共感し、手伝いを買って出たのも鎌倉在住の仲間たち。モノのインターネット化(Internet of Things)ならぬ、スパイスのインターネット化を目指している。
調理もウェブ公開もリアルタイム
インド直送の新鮮なスパイスの他にも、カレー粉、豆、茶葉も扱うが、単にネット販売するだけでなく、日本人の口に合う、日本の食卓のためのカレー料理をレシピや動画とともに紹介しているのもおもしろい。
スパイスを駆使して作るカレーなんて、夢のまた夢。少なからずそんな想いを抱いている人もいるだろう。
そこで彼らが制作し、Instagram投稿している動画をまずは見て欲しい。作り方の手順、スパイスを入れるタイミング、早回しではあるけれど、すべてが手に取るようにわかるはずだ。
前述の材料撮影ももちろんこのため。スパイス料理の垣根をぐんと引き下げてくれる、一助になっていることにも注目。
ところで、古民家の風体とはイメージを異にするほど現場はハイテク、かつリアルタイム。
換気扇の淵に設置したiPhoneを駆使して、真上から鍋の中を定点観測し、Wi-Fi経由で送られたデータが、キッチンから続く隣の部屋ですぐさま編集にかけられる。撮影したばかりの生データはその場で加工され、公式ページやSNSへと発射されていく。
細かいレシピや調理の際のポイントも、これまた台所のバラッツからその場でヒアリングしたものだ。
そうこうしているうちに2品、3品。ハッシュタグをつけて投稿されるおいしそうな一皿に、すぐさま「いいね」のリアクションがつく。不定期といえど、ファンはもう知っているようだ。料理こそ提供しないものの、アナン邸はおいしさを届けるラボとしての機能を果たしている。
コリアンダーとココナッツが好相性の「コリアンダーチキンカレー」
隠し味に梅干しを入れた「菜の花と鰆のフィッシュカレー」
おいしい匂いに誘われて…
「週末、カレー作るよ」
もしかしたら、そんな軽い誘いの言葉だけで成立する関係なのかもしれない。この日、試作のカレーを求めて同じ鎌倉に暮らす友人たちがアナン邸に集まってきた。まるでスパイスの香りに誘われるように、ひとり、またひとりと。
ところがこの人たち、聞けばInternet of Spiceのパッケージデザインを担当していたり、撮影に使うお皿を焼いた人がいたり。みな鎌倉という土地でつながり、それぞれのスキルを活かしてバラッツを支えている。
ともするといちばん身近で、いちばん楽しい(厳しい?)試食会。新たなメニューが世に送り出される背景には、スパイスがつなげたコミュニティーが存在した。
ふと思ったことがある。
「週末、スパイスからカレー作るよ」
市販のルーを用いた“いつものカレー”が悪いわけじゃない。けれど、わざわざスパイスを準備して、イチからカレー作りにチャレンジしてみるのも悪くない。腕に自信がなくたって、できあがりが多少思い通りにならなくたっていいんじゃないだろうか。
そうやって気の合う仲間たちと一緒に料理する楽しみや、食卓を囲む喜びを思い出していた。ひとつのことを目的にみんなで集まる週末が、なにか単なる「宅飲み」よりも数段いとおしく思えてならなかった。