世界のクリエイターが語る、海外に出る本当の意味。映像作家、関根光才
関根光才/Kosai Sekine
映像作家。CM、ミュージックビデオ、映画などをベースとした映像の演出を手がけ、日本人監督らしからぬインターナショナルなレンジでの活躍が特徴的。文化横断的なストーリーテリングや、メディアアートなどが組み込まれた、革新的・実験的な表現を中心に活動を続けている。
2005年、短編映画「RIGHT PLACE」でデビュー後、カンヌLIONSのヤング・ディレクターズ・アワードにてグランプリを受賞。2006年には、SHOTSの発表する新人監督ランキングにて世界1位を記録。以降、2009年、2010年とカンヌLIONSシルバーライオンを受賞するなど、国際的な評価が高い。
現在、日本ではフリーランスとして「GLASSLOFT」に在籍。国際的トップ・プロダクションの「Stink」にも所属している。
関根光才氏のHPはこちらから
※ウユニ塩湖のプロジェクト
※チェルノブイリでの撮影にて
関根さんインタビュー時、オフィスにて
▶︎001
世界中で大ヒットしたデビュー作「RIGHT PLACE」
関根さんの「RIGHT PLACE」に衝撃を受けました。この作品について、まずお話を伺わせてください。
「RIGHT PLACE」は、海外から見るとふざけていると思われる場所や習慣が、実は日本らしい風景を切り取っているということを映し出しました。海外の人がよく日本の中でも狂っていると感じる代表例であるコンビニを舞台に、ルーズソックスの女子高生を登場させ、ある意味で日本人なのに日本人をからかっているようなシュールな作品。そんな入り口だけれど、「それは日本独自の個性や文化だから、それが素晴らしいという見方もあるでしょ?」という捉え方の転換をエンディングで表現しました。
この作品は、タイで開催されるアジア最大級の広告祭AdFest のために作った作品なんです。AdFestが脚本を募集して、応募者の中から選ばれた者が作品を作り、世界に向けて発表できるというもの。新人の登竜門のようなものですね。もともと世界を舞台に日本を表現する作品を発信したいと思っていたので、「これだ! 応募しよう!」と脚本を書いたら選考に通って。実際に発表すると海外でもウケがよく、いくつかの賞をいただきました。これを機に海外から仕事のオファーもいただけるようになり、今では年間の3分の1くらいは海外 の仕事か、日本の仕事でも海外撮影をしています。
▶︎002
子供の頃から、海の向こうは遠くなかった
現在海外で活躍する関根さんは、いつから海外に目を向けるようになったんですか?
子供の頃からですね。昔から家族旅行で海外に行ったり、両親がイタリアで暮らした経験があったり、自宅が海外から来た旅行客や留学生のホームステイ先みたいな感じだったんですよ。家に帰ったらモンゴル人やタイ人、エチオピア人がいるなんてことはしょっちゅうで。祖父が浅草でぶっ倒れていた海外の人を連れて帰ってきたこともありましたね(笑)。所持金3万円でお坊さんを目指し、はるばる日本まで来たというめちゃくちゃなイタリア人だったんですが、家で本場のパスタを作ってくれたり、遊んでくれたりしてすごく楽しかったのをよく覚えています。
だから小さい頃から日常的に海外の人が身近にいるということは特別なことではなかったし、ヒッピー的な文化にもどこか親しみがあって「いつか僕も海外へ行きたい」と思っていたんですよね。それで大学生の時にアメリカに留学し、写真や映像の基礎を学びました。
▶︎003
日本と海外、その狭間で考える
「RIGHT PLACE」もそうですが、関根さんの作品には随所に日本を意識した作品が多いですよね。それはなぜですか?
海外に行くと、“日本”や“日本人”であることを意識するのは当たり前のことだと思います。島国の日本で生活し、ガチガチに固められた日本人としての共通項や自分の潜在意識。海外に行くとありとあらゆる自分の選択や行動が、他の国の人々と比べてあまりにも異なっているので「やっぱり自分は日本人なんだな」「異邦人なんだな」と強く意識させられます。
こう感じた時に、日本人としてのアイデンティティを捨てる人と、大切にする人がいるんですが、僕は後者のタイプ。その中で、いかに周りの世界とコミュニケーションしていくかということを模索します。でもそれはとても自然な衝動なので何も特別なことではないんです。
作品として、その日本人としてのアイデンティティを表現しているのは、日本国内の作品が海外から理解されづらいのがもったいないと思うからです。彼ら彼女らからするとあまりにも偏りすぎているんですよ。だから日本と海外との間くらいの視点で描くことが大切で、それができる人が増えればもっと海外で活躍する日本人が増えると思いますね。
▶︎004
内から反乱を起こして、牙城を崩すプロセス
日本と海外で作品を出す時に大切にしていることはありますか?
特に駆け出しの頃は、まず海外で評価を得てその後に日本に売り込むという、逆輸入のイメージを持ってやっていました。
「友達がこの曲を聞いているから俺も好き」「世間で売れていない音楽は聞かない」と、日本人はメジャー好きというか、素直にいいものをいいと言わないことも多いので、遠回りに思えるこの方法が実は一番の近道。
でも本来はいろんな価値観があっていいはずだから、自国の文化だけで経済が回っている危険な日本の現状を打破したい気持ちもあります。外から牙城を崩すのではなく、スッと中に入って、そこから反乱を起こして壊していきたいですね。
▶︎005
海外でトラブルは付き物。台湾で起きた珍事件
海外で作品を作り上げる上で、一番印象に残っているのはどの作品ですか?
一つを選ぶのは難しいんですが、あえて挙げるなら台湾で制作した「Artisan of Love」です。ピアニストの彼氏を持つ主人公の女性が、交通事故に遭ってから耳が聞こえなくなってしまうというストーリー。作品には彼女が路上でピアノに接触する場面(開始35〜46秒の部分)があるんですが、ピアノは高価なので撮影はワンチャンスだけ。そこで空気圧を用いてピアノを軽く爆発するものを仕掛るため、現地の特殊効果屋さんに依頼したらドラム缶がとんでもないほど大爆発するものを用意されて。「いやいや、それ、全員が死んじゃうじゃん!」って(笑)。撮影していたフランス人は呆然としていたんですが、僕は隣で大爆笑。
海外での仕事でトラブルはつきものですが、特にアジアではその振り幅が半端なくなるんですよ!でも海外での経験を積めば積むほど、「これくらいなら、このくらいヤバいことが起きる」と予測がつくようになります。海外では、コミュニケーションをしっかりと取ることが本当に大切なんですが、あの時ほどそれを痛感したことはなかったですね(笑)。
▶︎006
アイディアは移動中に生まれる
クリエイターでフリーランスの関根さんは、どのような働き方をされているんですか?
1ヶ月ほどのスパンの仕事を同時平行で行っていることが多いので、出稼ぎに“旅”に出る感覚。僕は移動しながら好きなように働き、稼いだお金を制作費に回して自分の作品を作りたいので、フリーランスは自分にあっているんです。
僕にとって「移動」は大切な時間。その時間は過ぎ行く風景を見ながら、一人でそこにいることしかできないので強制的に自分と向き合う時間になりますから。しかも忙しい時期は、移動時間しか次の仕事について考えたりできないこともあるので、飛行機の中だけが本当の意味での仕事場だったりするんです。
それに対して電車の中では、「隣に変なヤツがいて嫌だな」「あの広告面白い!」ということがあったりと、情報が否応なく入ってきます。そういう時に自分でも思ってもみなかったシナプスとシナプスがつながって新たなアイディアが生まれることもあります。閉じられた空間にいるようですが、様々なインフォメーションに触れることで新たなインスピレーションが生まれたりするので、わざわざ電車に乗って考え事をすることもあるんですよ。
▶︎007
自分をぶっ壊す旅に出よう
旅について考え方を伺わせてください。
僕らが持っている型みたいなものは、生まれ育った環境などに影響されて知らないうちに身に付いてしまっているもの。だから、その中で演じているうち は、自分が立っている舞台の世界しか知らないで演劇をしているようなもの。でもそこから一歩踏み出して外の世界を知ると、「野外でやってもいいんだ」「声を張り上げない表現方法もあるんだ」と考え方を変えることができる。
そうやって型やルールを塗り替えることができるのが、旅。内にいるうちはルールに縛られて生きていたのに、旅すると世界中のいろんなルールを知り、ルールなんてあってないようなものなんだと気づく。自分の価値観や既成概念がひっくり返ったり、クロスオーバーして違うものに昇華するんです。
旅が、僕のアイデアを産み出していると言っていい。旅することは、僕にとってはインスピレーションの塊なんです。
NOddIN 2nd Exhibition2014年春のゴールデンウィーク中、関根光才も参加している「NOddIN(ノディン)」の展示会が行われます。原発事故という事件を経て集まった映像作家・アーティストが、 3.11以降の日本に、 それぞれの視点から向き合い制作された映像作品や写真展示、 インスタレーションを発表する「NOddIN」。5/2-9の期間中、学芸大学CLASKAの8F「The 8th Gallery」にて開催。詳しくはNOddINのオフィシャルWEBサイトで。