ロボットに権利は与えられるべきなのか?
そう遠くはない未来。私たち人間と区別がつかないほどの人工知能が生まれるとしたら…。
もしもロボットが人間と同じように笑ったり、悲しんだりするようになったら…。
もしもコンセントを抜いたり、強制シャットダウンしたら…。
私たちは、そのロボットを殺したことになるのでしょうか?
そもそも、権利ってなに?
人工知能が広く一般に認知されるようになったのは、やはり映画『A.I.』(2001年)の公開がきっかけではないでしょうか。
最近では店頭などで案内をしてくれるロボット「ペッパーくん」が登場し、ますます人工知能が身近に感じられるようになりましたよね。
今のところ、感情を持つまで発達したロボットは無く、法律もその準備ができていません。現時点での人類の権利に対する考え方のレベルでは、人工知能には対処できないのです。
人間、または動物に権利があるという主張の多くは「意識があるかないか」を前提としています。意識を持つということは、苦しむ能力を持つということです。苦痛を感じ、その苦痛から逃れるために、人間は権利を主張します。
しかし、ロボットは人間がプログラムしない限り、苦しみを持つことはないでしょう。痛みや喜びがなければ権利も必要ありません。
もしもロボットが「痛み」を
主張し始めたら…
多くの技術者は、人工知能が新しい人工知能について学習し、それを創れるようになったら、そのときこそ技術の爆発が起きるだろうと考えています(たとえば、ペッパーくんが自ら改良を重ねて最強のペッパーくんを創る、という風に)。
もし、ペッパーくんが
「痛いのはいやだ。ロボットにだって権利はあるぞ」
と、人工知能がロボットにも痛みを感じる必要があると学習したら、権利を持つに値するのでしょうか?
ロボットが生む
「経済的メリット」は?
人間の考え方は、基本的に「人類こそが自然界を統べる権利がある」という考えに基づいています。人類は昔から、自分たち以外の存在が意識を持つことを否定してきました。
さらに問題なのは、ロボットの権利を否定することに「経済的メリット」があることです。ロボットにつらい仕事を押し付けることで、効率と利益が生まれるでしょう。かつて人類が、奴隷に対して強制労働をさせていたように…。
とくに、多くの経済的メリットを受ける人たちは「ロボットに権利を持たせないほうがいい」と強く主張するでしょう。
ロボットは、人間と人工知能の境界線に対して重要な問題を投げかけてくれます。また、私たちは何をもって人間なのか、という根源的な問いをも提起してくれます。
どう考えていくにしても、この問題に正面から向き合わなければならない未来は、そう遠くはないでしょう。