難病を克服した日本人ダンサーが、全米初のプロ「車いす社交ダンス・カンパニー」設立
健常者と車いすのダンサーがペアを組んで踊る社交ダンス。パラリンピックの正式種目になるほどの人気スポーツだという。ヨーロッパで広く普及し、日本も競技人口が少なくない「車いす社交ダンス」を、アメリカで初めてプロ化し、ダンスカンパニーを設立した日本人女性がいる。
彼女自身もまた、手足の自由を奪われた経験を持つダンサーだ。
車いすの上であろうと
ダンスは自分を表現できる。
ダンサーとして、振付師として幅広く活躍する浜本まり紗さんは、2015年3月、アメリカで初となるプロの車いす社交ダンスカンパニー「Infinite Flow」をLAで立ち上げた。モットーは、「あなたを支えるのが2本の足であろうと、2つのタイヤであろうと、ダンスを楽しむことはできる」。
それが車いすの上であったとしても、踊りを介して誰もが自己表現することができる。その魅力は健常者だけのものじゃない。健常者と車いすのダンサーがペアとなり、息を合わせることでひとつの踊りをつくりあげ、魅せるパフォーマンスを体現するのがこのカンパニーだ。
浜本さんの狙いはダンスのパワーを、障害をもつ多くの人たちにも広く知ってもらうことにもある。それは、一度は夢をあきらめかけ、二度とダンスを踊れないかもしれない難病に、彼女自身が打ち勝ってきた体験に基づいている。彼女を突き動かしている原動力だ。
※浜本さんのパートナーを務める、車いすボディービルダーのアデルフォ・セラミ・ジュニア氏をはじめ、Infinite Flowのパフォーマンスを収めた動画。
突然の病、手足の感覚を失った。
でも、ダンスのない人生は
考えられなかった。
米国育ちで、6歳からクラシックバレエを習い、16歳で「キーロフ・バレエ・アカデミー」に合格した浜本さんだったが、ハイレベルのレッスンに挫折を味わう。そしてダンスを断念。だが、慶應義塾大学へ進学後もダンスが頭から離れることはなかった。
やがて、コンテンポラリーへと新たなダンスの挑戦を始めた浜本さんは、バレエで培ったセンスを遺憾なく発揮し、ダンサーとして日本で数多くの舞台に立つ。ところが、順風満帆に思えた2006年、病気が彼女を襲う。
神経系の病気である「脊髄梗塞」に襲われ、突如首から下の機能を失った浜本さん。体の感覚が失われ、手足がマヒし、寝たきりの状態がつづいた。「特効薬がない。再び歩くことは難しいかもしれない」、そう医師から告げられても、彼女は必ずまた踊ることができると強く自分に言い聞かせていたそう。
「たとえ歩けなくても、車いすでもダンスはできる」。彼女にダンスのない人生は考えられなかった。日々のリハビリに耐え、医師が「奇跡」と驚く回復ぶりをみせた浜本さん。入院からわずか2ヶ月ほどで歩けるようになり退院。
それでも、 いつまた再発するかもしれぬ不安からPTSDに襲われ、精神的な回復には3年かかったという。
社交ダンスとの出会いが
人生を変えた。
ある日、とあるイベントで世代を超えた人々が手を取り合い、楽しそうに踊るサルサを目にし、彼女の止まっていた時計が再び動き出した。
これまでバレエやコンテンポラリーダンサーとして、ずっと一人きりで踊りつづけてきた。けれど、パートナーと心を合わせて踊るダンスには、「さまざまな障壁を打ち破るパワーがあった」と浜本さん。
そうして社交ダンス、サルサ、タンゴなどパートナーダンスを専門に、インストラクターとしての資格を取得。社交ダンスと出会ってから5年、ついにはLAを拠点に活動するプロのダンサーに。
この頃もうひとつ、彼女に新たな夢が芽生えていた。障害をもつ人たちにもダンスのパワー、魅力を知ってもらいたい。Infinite Flow創設はここから始まった。
車いすダンスの表現力で
社会の目を変えたい。
体に障害があることで、つねに悲観していたり、自らの創造性を疑ってしまっているような人たちにこそ、立ち上がってもらいたい。浜本さんはいま、車いす社交ダンスを通じて、社会をリードするチームづくりに本気で取り組んでいる。
アメリカでの認知度はまだ低いものの、カンパニー所属のダンサーは徐々に増え、地域に密着した車いすダンスのクラスやワークショップ、イベントでのパフォーマンス、さらにはテレビ出演や撮影の機会も増えているという。
健常者と障害者の壁を、車いすダンスを通じて打ち破る。浜本さんのカンパニーは、いつしかダンスパフォーマンスだけでなく、同じ車いすの上で生活する多くの人たちを鼓舞する存在になり始めているのかもしれない。