1994年生まれのわたしが、映画『リバーズ・エッジ』をみて考えたこと。
こんなもんなんだよ、青春なんて。
「なんて」って言うとすこしネガティブな感じがしますが、わたしが言いたいのは、「青春って、べつにキラキラしてないんだよな」ってことです。
この作品の舞台である90年代について、94年生まれのわたしはほとんど知りません。でも、満たされているようで満たされない毎日を、平気なふりして過ごそうとする登場人物たちの、複雑さの中でつぶれしまいそうな心境には、ちゃんと共感できてしまったんです。
つぶれそうな自分に気づけなくて
『リバーズ・エッジ』に登場する高校生たちは、それぞれ満たされない毎日から目をそらすために、援助交際、摂食障害、ドラッグ、暴力などに依存しています。
その満たされない毎日の原因が一体何なのかわからず、もがいて、もがいて、だけど出口は見えなくて、いまいる場所から身動きがとれなくなって。しかも、未熟であるがゆえに、そういう淵に立ってつぶれそうな自分に気づけない──。
だけど、これ、90年代の高校生に限った姿じゃなくて、現代の若者と何ら変わらないんじゃないかなと思うんです。
わたし自身、上に書いたような問題を抱えていた時期がありました。「助けて」と叫びたいけど、叫び方がわからない。こころはすごく苦しいのに、泣くことができない。振り返れば、そんな不安定な気持ちを必死に隠そうとしながら、毎日を過ごしていたように思います。
傷つきながら、忘れながら、感じながら
印象的なセリフがありました。あるシーンでの「これからの未来をどんな風に生きていきますか?」という質問に対する、二階堂ふみ演じる主人公、若草ハルナの回答です。
傷つきながら、忘れながら。たまに、泣いたり、怒ったり、笑ったりしながら、感じて生きていきたい。
10代は「多感な時期」とよく言われます。でも、人はいくつになっても多感な生き物なんじゃないかなと思うんです。傷つき方も、忘れ方もわからないから、起こる出来事すべてを真に受けることしかできず、何か大きな波に飲まれている気がしていた。そんな時代を経て、ちょっとずつ平気なふりが上手になっていくだけだなって。
よみがえる、10代の頃の閉塞感
わたし、もともと原作のファンで、これまで何度も読み返してきたのですが、読後感をうまく言葉にあらわせずにいました。だけど、映画をみて、記事を書き進める中で、ようやく答えを見つけることができたんです。
10代の頃に抱えていた閉塞感。
きっと、これだったんです。
見つかるまでに時間がかかったのは、いまのわたしが、10代の頃の心境を思い出せないくらい、平気なふりが上手になっているからなのかもしれません。
もちろん、作品をみて何を思うかは人それぞれです。だけど、はからずも、登場人物の中の誰かに過去の自分の姿を重ねてしまうんじゃないかなと思うんです。それは同時に、いまの自分の立ち位置を再確認して、ちゃんと前進していることを実感するきっかけになるんだろうな、なってほしいなって。
©️ 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会 /岡崎京子・宝島社