意外と知らない「桜とお花見の歴史」。意識してみると、春の解像度がグッと上がるかも
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3月に入り、目前に迫ったお花見シーズン。
そろそろ、今年のロケーションを考え始めたり誰かと予定を合わせ始めている頃かもしれない。毎年、もはや無意識的に「春になったら桜でお花見」となるわけだが、ここで一つ考えたい。
我々日本人は、いかにして桜を愛でるようになったのだろう?
桜=日本のイメージは、言うまでもなく世界的なものだ。海外で和をモチーフとした創作物が登場すれば、ほぼ間違いなく桜はアイコン的に用いられているし、外国人がお花見を楽しむ姿もごく一般的。
でも、日本人が抱く桜への感性は少し独特。ただ美しさに惹かれる人もいれば、エモさを感じる人もいる。
多様な受け口を持つ桜だが、あなたが浮かべる桜のイメージにはどんな背景があるのか。季節行事の中でもとりわけ身近な「お花見」はどのように広がっていったのか。
気にしたことがなくても、少し知ってみると、今年はもっと愛着がわくかも。本記事で、日本人と桜をめぐる文化史を少し振り返ってみよう。
桜の地位を引き上げたのは「女性と恋」
数多の文化人が儚さの虜に
今でこそ揺るぎない桜の地位だが、貴族文化が盛んだった奈良時代、実はこの行事の主役は「梅」だったそう。
桜がその座を勝ち取ったのは、平安時代のこと。
優美さ・儚さの二面性が多くの文化人(当時はほぼ男性)を虜にし、「盛るように咲き、散っていく」様子が女性や恋愛と重ねられるようになる。格好のモチーフとして、多くの芸術作品に登場するようになったのだ。
この風潮は文化の発展に伴って拡大し、いわゆる“日本文化”が定着した鎌倉〜室町ごろには一種のスタンダードに。
中でも顕著なのは、あの『源氏物語』。恋愛の和歌だらけなのに加えて、春になると「桜の花を求めて貴族が各所を狂奔した」旨が記されており、現在の桜のイメージに比較的近いものが既に形成されていたことがうかがえる。
桜!武士道!漢!
男女の垣根を越えて「日本=桜」へ発展
女性や恋愛が中心だった桜のイメージだが、時が進むと、満開から散りゆくさまが“潔さ”として武士道に重ねられるようになる。江戸時代には『仮名手本忠臣蔵』で「花は桜木、人は武士」と表現されたように、戦う漢のイメージも含みはじめた。
男女の垣根も超えた桜は、武士道が集団主義へと変容した明治以降、軍隊や愛国を表す“日本人そのもの”を体現する存在までに発展する(大戦末期に桜と特攻が深く結びつけられたこともあり、戦後しばらくは桜に対して戦争のイメージが色濃く残り、忌避されることもあったというほど)。
いよいよ「日本=桜」が確固たるものになったわけだ。
こうして見ると、ジェンダーや多様性に関する意識もなかった当時としては、世界でも稀にみるほどユニバーサルな記号だったのかも?日本人だけの話だけど。
また、近世に入って年度や学校の制度が整ったことで、3月の終わりから4月の始まりは別れと出会いの季節として定着していく。もちろんこれが意味するのは、現代に受け継がれる“エモい桜景色”のできあがり。
淡く切ない「女性と恋」から始まった桜に対する感情は、もののあわれを通して「武士や漢」をも巻き込み、あらゆる国民に当てはまる日本の象徴へと進化していったようだ。
こうして振り返ってみると、変化を繰り返した桜のイメージだが、(武士道はともかく)概ね現代に生きる我々にも共感できる感性だったのではないだろうか。
豪奢と優美のバランス感?
お花見を“パーティ”にしたのは秀吉だった
さて、いかに桜と日本人が密接であるかを少し理解したところで、今日の我々が最も桜と親密になる時、すなわち「お花見」の経緯を見ていこう。
先述した通り、花見の概念自体は古来からあったようだが、長らくそれは貴族の嗜みのような存在だったらしい。現代のように、公園にブルーシートを敷き、大人数で宴会の如くお花見を楽しむ……たぶん、当時はそんなにパリピな雰囲気ではなかったはず。
お花見のスタイルに革命をもたらしたのは、あの豊臣秀吉だ。
秀吉が企画したのは、全国から700本もの桜を醍醐寺に集めたとされる「醍醐の花見」と呼ばれる催しなのだが、実はこれ、家族や家臣を含めて1300人もの人々(おまけにほぼ女性)を招待した大宴会だったらしい。
大人数でイチャイチャしまくる非常に賑やかな空気が想像できるが、「豪奢に騒ぎつつも主役は雅な桜」という対比。このバランス感(?)こそ、現代の花見、そして日本的な感性の原型なのかも。
江戸時代に入り、防災を兼ねて川沿いに桜の植林が進んだことで、秀吉のスタイルは本格的に庶民にも浸透していったようだ。
受け継がれた日本の感性。
J-POPに見る「桜のイメージ」
桜の文化史から花見の経緯を知ったところで、せっかくなので、改めて理解した日本の感性とやらを身で感じてみよう。
古代から現在まで、桜は日本人にとって創作物のモチーフであり続け、時を超えて様々な想いを乗せた作品が残されてきた。
言うまでもなく、この理念は現代、とりわけJ-POPにも反映されている。いわゆる春の曲とはほぼイコールで桜をモチーフに取り入れたものであり、ひとえに桜の名曲といっても色々ある。
ということで今回は、特に“古来より受け継がれた感性”を感じさせる4曲を紹介したい。
①開花×恋のはじまり
2000年にリリースされたaikoの『桜の時』。
日本人は、恋の始まりに対して「春が来た」と言う。この曲は、桜の時(=春)が自身にも訪れたこと、そして季節が進んで花が散ったとしても、二人の関係は咲き続けることを願う……花開く恋の華やかさと、散ってしまうことへの憂いを表現した作品だ。
それは正に、平安時代の歌人たちのように。
②落花×失恋
宇多田ヒカルも、2002年リリースの『SAKURAドロップス』にて桜と恋とを重ねている。こちらは『桜の時』とは反対に、散り際、つまり失恋がテーマ。
来年も同じように、桜は咲いて散る。逃れられない花の運命が、繰り返す恋に喩えられた一曲だ。
このように、桜の「盛るように咲き、儚く散っていく」姿を恋愛になぞらえる表現方法は、J-POPの鉄板どころか、和歌の時代から続くいわば“伝統”なのだ。
③散りゆく儚さは、命そのもの
2021年にリリースされたヨルシカの『春泥棒』。
満開の桜の下、シンプルな演出ながら感情の奥底に刺さるMVも相まって、YouTube上で9000万回近い再生数を誇っている。令和の春の代表曲と言えるだろう。
命を桜に喩えたこの曲では、桜を散らせる「風」を季節を終わらせる“春泥棒”と表現。咲いてからあっという間に散っていく桜の花びらに、人の一生を描いている。
散り際をドラマチックに演出する手法は実にヨルシカらしい一方で、もののあわれ──常々「儚さ」に美を感じる日本人らしくもある。
④春。桜。出会いと別れ。
2013年にリリースされたGReeeeNの『桜color』では、今までいた場所を離れ、新たな生活を始める人をめぐる、出会いと別れ、未来への希望が歌われている。
日本のどこにいても、変わらぬ姿で咲き誇るソメイヨシノ。年度変わりのこの季節、見上げて故郷の人に想いを馳せるこの曲の歌詞に、多くの日本人が共感したのではないだろうか。
春に(恋ではない)出会いと別れのイメージが乗るようになるのは学校制度などが整った近代からだが、桜と哀愁という意味では、古来から受け継がれる感性とも言える。
変化し続ける、変わらない桜
日本のシンボルとして疑う余地のない桜だが、少し歴史を振り返ってみると、桜へ抱く感情への解像度が高まったのではないだろうか。
最近では、風物詩としてのお花見はインバウンドにも拡大しており、「訪日旅行で体験したいこと」の2位に挙げられるほど。
また、体験型アートが浸透し始め、お花見もデジタルとの融合や五感を楽しませる仕掛けが加えられるなどさらなる進化を遂げている。
日本人が世紀を跨いで育んだ“桜への想い”は、様式こそ変化し散ってしまっても、姿を変えて繰り返し我々の心に咲き続けるだろう。